なとでもえ

 

一日おきに秋田に電話するのがこの頃の習い。
電話には必ず父がでる。
父はいま九十歳。
歩行がむずかしくなった母をたすけ、
朝ごはんの準備をし、鶏小屋に卵を取りに行き、それから朝食。
「もしもし。まま(ご飯)食べだが?」
「食べだ」
「天気、なとだ?」
「いい天気だ」
一日おきにかけているので、
あとは話すことがあまりない。
父も、
この頃は多くを語らなくなった。
十羽いたニワトリがイタチに殺され、小屋を補強したにもかかわらず、
さらに二羽、また一羽とやられ、
いまでは三羽しかいなくなった。
卵を近所にあげると喜ばれることが生き甲斐の一つだった。
父はイタチでない、ネズミに違いないと主張する。
イタチが入れるような穴はどこにもないからと。
わたしと弟は、
ネズミがニワトリを殺すなんて、聞いたことがない、イタチだろうと主張。
その後、父はネズミ捕りをセットし、
六、七匹のネズミを捕った。
「へ~!」
わたしは驚いた。
いや、無意識に、驚いてみせたかもしれない。
「んだども、やっぱりイダヂでねが? ネズミがニワドリどご殺すなんて聞だごどねもの」
すると、
父が「なとでもえ」
と言った。
「なとでもえ」とは「どうでもいい」という意味だ。
「な」と「と」の間に、
小さく撥音の「ん」が入る。
ニワトリがつぎつぎ殺されたことはショックでも、大きなことではない、
ということなのだろう。
では何が問題なのか。
父の同級生だった地域の者たちが一人、
また一人と亡くなって、
ついに父が最後となった。
わたしは父の悲しみを推し量るしかないけれど、
一日一日、
朝ごとのスタートラインは、父とそれほど違っているとも思えない。
「なとでもえ」
忍従し努力し行為すること。
一日が始まる。

 

・タクシー停車道沿いの桜かな  野衾