見え方が変る

 

たとえて言えば、新しい理論をつくるのは、
古い納屋を取りこわして、その跡に摩天楼を建てる
というのとは違います。
それよりもむしろ、
山に登ってゆくと、だんだんに新しい広々とした展望が開けて来て、
最初の出発点からはまるで思いもよらなかった周囲のたくさんの眺めを見つけ出す
というのと、よく似ています。
それでもしかし出発点は依然として存在し、
かつそれを見ることができるにちがいないので、
ただ私たちが冒険的な路をたどっていろいろな障害物を踏み越えて来たことによって、
この出発点はやがてだんだんに小さく見え、
私たちの広い眺めの些細な部分をなすのに過ぎなくなるのです。
(アインシュタイン, インフェルト[著]石原純[訳]『物理学はいかに創られたか 上巻』
岩波新書、1939年、pp.175-6)

 

高校時代の学習でいちばん好きだったのが数学で、
とくに、
微分、積分、関数、虚数に関する考え方を習い、
知ったとき、
まさに、
上で引用した感覚に近かった
ような。
このごろよく読む中井久夫さんは精神科医ですが、
中井さんの発言や書き物のなかに数学の用語がでてくるときがあり、
ん!? と目を引かれます。
これはおそらく、
数学の用語を使うことによって、
目の前に生起している事柄の見え方が変るところに、
その眼目があると思われます。

 

・烏ひょんひょん花冷えの瓦屋根  野衾