見える会社、見えない会社

 

第一五三項 見える教会のどの部分においても誤謬が可能であり、
したがって、誤謬が何らかの仕方で現実的であるように、
どの部分においてもまた真理の矯正力は欠けていない。
(F・シュライアマハー、
安酸敏眞[訳]『キリスト教信仰』教文館、2020年、p.977)

 

この箇所を読み、すぐに、
ラファエロ描く『アテネの学堂』のプラトンの姿を連想しました。
見える教会と見えない教会を対比し論じるところに、
プラトンの著作に親しみ、
プラトンのドイツ語版を上梓したシュライアマハー
の面目躍如、
という気もします。
教会でなく会社はどうか。
見える会社はどの部分においても、誤謬を犯し得る。
しかし、志において間違いがなければ、
真理の矯正力は欠けていないと信じたい。

 

・寒風や帰郷の山の正しかり  野衾

 

自発性について

 

弊社は、昨年12月30日から今月5日までが冬季休業でしたが、
帰省しないことでもあるし、
担当している本の仕事をすこし進めたいと考え、
大晦日と年が明けた2日に出勤。
沈黙の声さえ聴こえてきそうな
静まり返った社内で、
ひとりゲラの照合をしました。
仕事が捗ってきたので、
パット・メセニー&チャーリー・ヘイデンの
Beyond The Missouri Sky
をBGMにして。
順調順調。
と、
14時半。
15時ちょっと前でしたか、
編集者のYさんが入ってきて、
「三浦さん、出ていたんですか」
「はい。担当のものを少し進めたいと思って…」
それからは、
ふたりただ黙々とじぶんの仕事を。
そのとき、わたしは思いました。
これでいい、と。
わたしが知らないだけで、
Yさん以外にも出社する人がいるだろうし、
休み期間中も、
在宅で仕事をしている人がいる
かもしれない。
会社の雰囲気が、いつの間にか、
そういう風になったのがうれしく、
これも一朝一夕のことではないなぁと。
自発性は教えられません。
だれかから習った覚えもありません。
与えられたものをこなすなかで、
面白さをじぶんで発見するしかない。
WANIMAの歌『やってみよう』
の始まりに、
「正しいより楽しい 正しいより面白い」
とありますが、
自発性を発揮することで、
面白く正しい仕事が身についてくる
のだと信じます。
若い社員に、
社の弱いところは修正、また補強し、
いいところを受けついでいってもらいたいと願います。

 

・一日をここまでと為し寒の月  野衾

 

吹雪のこと

 

二十年ぶり、いや、それ以上かな、
久しぶりに故郷に帰らず、ここ横浜で静かに過ごしました。
秋田に電話をし、
「きょうだば、朝がら、ふぶいでるど」
と父から告げられると、
目の前に、
黒く迫ってくる圧倒的な吹雪の波が浮かびます。
大好きだった祖父は、
2001年5月29日、九十八歳でこの世を去りましたが、
祖父から吹雪にまつわるこんなエピソードを聞いたことがあります。
祖父がまだ若かったころ、
とても賢い馬を飼ったことがあったそうです。
自慢の馬だったのでしょう。
動物好きの祖父は、
主人の言うことをよく聞き、指示に従い、
また主人のこころをよく分かるその馬をたいそう気に入っていた。
あるとき、
用事があって馬に乗り遠出をしての帰るさ、
一天にわかにかき曇り、
やがて猛烈な吹雪になった。
祖父は、
まさに人馬一体となって帰路に就いた。
すると、
道を確かめ確かめ進んでいるのに、
また同じ辻に出てしまう。
まちがえたと思って、
こころを落ち着かせ進むと、
またまた同じ辻に出てしまう。
あの賢い馬が家への道をまちがえる筈は無いのに、
と思ったら、
恐ろしくなった。
あれは……、
というような思い出話で、
わたしも聞いていてゾッとした。
人を寄せ付けない吹雪もまた故郷のだいじな景色です。

弊社は今日が仕事始め。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 

・仕事始め前日の緊張感  野衾