小学校の遠足で、男鹿半島の入道崎へ行ったことがありました。
その後、
大人になってからも幾度か訪れていますが、
小学校の遠足のときがたしか初めてで、
そのせいもあり、
記憶に鮮やかに残っています。
バスから降り、
先生の注意を受けてから、
グループごとに海のほうへ向かって歩きました。
秋だったでしょうか。
日本海の雄大な景色を目の当たりにし、
水平線に目をこらし。
グループは次第に乱れ、
それぞれが好きな場所を求めてうろついていると、
遠くから手拭をかぶったおばあちゃんが近づいてきました。
ゆっくり近づいてきて、
「ワガメコいらねがぁ?」
「ワガメコ買ってけにゃがぁ?」
さいしょ何のことか分かりませんでしたが、
何度も何度も、
「ワガメコいらねがぁ?」
「ワガメコ買ってけにゃがぁ?」
子どもだったし、
少ないおカネでワカメを買って帰ろうという、
気のきいたこころもなかったので、
すぐに断りました。
すると、
また別のおばあちゃんがやって来て、
「ワガメコいらねがぁ?」
「ワガメコ買ってけにゃがぁ?」
だんだんイラついてきました。
要らないって言ったのに。
わたしの性格から、
イラ立つこころで断ったはずです。
三人目のおばあちゃんが来たかどうか、までは覚えていません。
けれど、
いま思い返せば、
あれは、寄せては返す波のようであったなぁ、
と。
気のきいた近代的な営業トークなどでなく、
ただただ、
まるで呪文のように、
「ワガメコいらねがぁ?」
「ワガメコ買ってけにゃがぁ?」
あのリアリティに敵うものはなかなか無いのでは、
と思えてきます。
いまも耳に残っているその声に意識を集中していると、
声だけが形を成して、
だんだん悲しくなってくるようです。
・祖父の手と祖母の手もあり炭火かな 野衾