雪の季節になると思い出すのは、子どものころ、
弟と行った近くの山。
のちに町営スキー場となった山で、
見晴らしがよく、
当時は、
ほかに人がいても一人か二人、三人、四人。
その日、
わたしは、祖母におにぎりを作ってもらい、
弟を連れ山に向かいました。
カルビーのかっぱえびせんぐらいはおやつに持ったか、
いや、
予定していたことではなかったし、
そんな気の利いたものはなかったでしょう。
前夜から降り積もった雪は、
どこを見ても、
たっぷりとした厚さに成長し、
絶好のスキー日和と思える日でした。
家から子どもの脚で三十分ぐらいかかったでしょうか。
山の頂上に立てば、
そこはまさに白銀の世界、
雪片がきらきら光っています。
空は真っ青、
子どものころは瞬間瞬間が感動に充ちていましたが、
そのとき山の頂上に弟と二人で立った時間は、
何十年とつづくその後の人生をとっても、
ベスト3にランクインする
輝きの瞬間でした。
圧倒されるほどの快晴の下、
光のかすかな陰影から高低差が推し量られましたが、
目の前に広がる光景は、
ほとんど一枚の大きな柔らかい蒲団のようにも見えます。
大きく息を吸い、吐き、
二度、三度、
それから新雪をゆっくり滑っていきます。
途中から加速がついてきますが、
ふわっふわの新雪は、
客でにぎわうスキー場のゲレンデとは違います。
スキーが停まったところがゴール。
振り向いて上を見上げると、
滑った跡が付いていて、
はじめて山の高低差を体感できます。
感動という言葉をおそらくまだ知らなかったけれど、
体と心の奥底にのこって、
シーズンになると必ず思い出す、
かけがえのない時間。
子どもは、春夏秋冬、感動の王なのだ。
・雪の朝弟と吾の山の景 野衾