義の物語

 

水滸伝も三国志演義も若いときには、
切った張ったの
チャンバラみたいなものとして読んだように記憶していますが、
つとめていた会社の倒産や、
仲間と起こした会社のこれまでを振り返りながら
いま『完訳三国志』を読むと、
ひとがひとをつかうときの、
またつかわれるときの要諦とでもいったものが
短く、鋭く、描かれており、
読みすすむ目を一行一行にとどめることがしばしばあります。
岩波の『完訳三国志』は三国志となっているものの、
これは、
正史ではなく羅貫中の三国志演義のほうです。
いまは正史も翻訳されていますが、
日本で三国志という場合は、
演義をさすことが多いようです。
まだ途中ですけれど、
正史から千年以上の時間のなかで醸され、
三国志平話をへて成立した民衆の物語の根本は、
ひとことで言って「義」であるか、
との感想が浮かびます。

 

・雨模様雲を仰ぎて帰るかな  野衾