あのホテルへ

 

・春雨や濡れて参るか傘差さず

ホテルニューオータニへ行ってきましたよ。
ホテルニューオータニといえば、
なんたって
『男はつらいよ』第一作で
たしか、
さくらの見合い会場につかわれた場所。
見合いに向かうタクシーの中、
「さくらよ、ホテルなんて英語にいちいち驚いちゃいけねえよ、
当節はな、ちょいとした連れ込み旅館だって生意気にホテルだ。
ホテルなんかに脅かされてたまるもんかい」
なんて寅さん、
さくらに兄貴風吹かせ
説教垂れていたくせに、
タクシーの窓から見上げたホテルの立派さ豪勢さに
腰を抜かさんばかりにしていた、
そう、あの
ホテルニューオータニ。
仕事の打ち合わせもさることながら、
そうかここか、
ここだったかと。
寅が酔っ払って妹さくらの名前を解説し、
「桜」(旧字で書くと「櫻」)
「木へんに貝2つ、それに女ですから、
2階(ふたつの貝)の女が気(木)にかかる。
とこう読めるんですよ!」
なんて上手いこと言った部屋は、
どのあたりだんべー…。
もう頭の中はぐ~るぐる。
なんだか楽しくなってきたゾ!
そんな気分でしたから、
アルコールが入ったら、
わたしも寅さんよろしくへまをやらかしてたかもしれませんが、
打ち合わせの席では、
おとなしくレモンスカッシュでしたから、
順調に、
静かに時はながれ、
いい打ち合わせができたと思います。
にしても、
さくらの見合いの場所、
どの部屋だったのかなあ??

・寅さんがひょいと顔出すホテルかな  野衾

織姫と

 

・純黒の悪夢も楽し春夜かな

四歳のときに出会ったりなちゃんですが、
いまは中学三年生。
小さいときからコナンのファンで、
大ファンで、
映画の公開月が
りなちゃんの誕生月でもあることから、
年に一度、
いっしょに映画を観るのを楽しみにしています。
りなちゃんも楽しみにしているようです。
今回は、
謎の女性キュラソーと子どもたちのとやりとりが切なく、
キュラソーのこころを思うと
痛く悲しくまた愛しく、
感動屋のわたしは、
なんどかこみ上げてくるものを抑えました。
抑えるとなぜか体が震え、
それが椅子に伝わって、
変な振動を起こしていたかもしれません。
ということで、
ああおもしろかった。
おもしろいと、
すぐに終ってしまうなあ。
映画のあとは歩いて馬車道の勝烈庵。
盛り合わせ定食。
くわ焼きだあ!
いつも決まっています。
腹いっぱいになったので、
天気もいいし、
歩いて横浜まで。
たのしさを少しでもながく。
さてと。
高島屋六階の資生堂パーラーへ。
わたしはストロベリーパフェとコーヒー。
りなちゃんはプリン・ア・ラ・モードとレモンスカッシュ。
織姫と、
彦星ならぬ彦爺な
年に一度のささやかなイベントでありました。
来年までまたがんばろう。

・昭和歌を双子姉妹の涙かな  野衾

春風新聞

 

・くり返しくり返し鳴く春の鳥

次号春風新聞のゲラが回ってきまして、
目録部分を校正しているうちに、
どの一冊も、
つくるのに相当の手間と時間と労力が必要なのに、
よくこれだけつくってきたものと、
今更ながらの感想が湧いてきました。
すでに六〇〇冊を超えています。
タイトルを追いかけていると、
ふっ、ふっ、と、
その本にまつわるエピソードが思い出され、
これは呆け防止にいいぞ!
なんて。
絶版が増えました。
在庫僅少のものも相当あります。
毎号お願いしているコラム、
今回も面白いですよ。
ゴールデンウィーク明けの出来になります。
乞うご期待!

・モノクロの雨に色なすつつじかな  野衾

雨の線

 

・春の雨息せき切って上る坂

かつて、
「雨音はショパンの調べ」
という歌があり、
あれは確か、
イタリアのガゼボという、
ひとの名前だか
虫の名前だか分からない、ひとの名前ですが、
とにかくそのガゼボ
が歌ったのを、
日本では小林麻美が歌ってヒット
したことがありました。
が、
今の季節の雨音は、
これはショパンじゃねーなと思います。
鏑木清方や
小村雪岱の本を読んだり絵を見たりしていると、
春の雨は春の雨でも、
日本の春の雨というのがあって、
日本画のすぐれたものに触れると、
これだ! と思うように、
音としてはやはり
三味線、琴が似合いそうです。
小村雪岱描くところの傘に降る雨の線を見たとき、
ああ雨は、
こんな風に見えるときが確かにある
と思わされ、
以来、
その感覚は体に染みつき、
雨を線と見るときに、
日本人の古くからのものを渡された気がします。

・我が胸に張り付く咳の貌を見し  野衾

こしかたの記

 

・杜甫ありて蒼茫の春吸ひにけり

鏑木清方(かぶらき・きよかた)といえば、
泉鏡花の挿絵も描いた日本画家ですが、
鏡花好きのわたしとしては、
当然のことながら、
鏑木さんへも興味が移り、
自伝『こしかたの記』(正・続)二冊を古書店で見つけ、
買っておいたのを
ようやくこのごろ読み始めました。
正編の二五三頁、
先輩絵師たちを紹介したあとの一文、
「これらの諸先輩は、かうした仕事を愉しんで、他に何を求める雑念もなく、
日夜動かす筆の先きの、その命毛を熟(じつ)と見つめて一生を送られたのである。」
に、
ほーと溜め息が漏れました。
命毛。
鏑木さんもまたそうした一生だったか、
あるいは、
そうした生涯に憧れたのかと想像します。
鎌倉に、
鏑木清方記念美術館がありますが、
戦争は嫌ですねえとつぶやいた鏑木さんらしく、
静かで瀟洒な記念館です。

・白き糞避けて電柱烏かな  野衾

ルンバに感動!

 

・うらおもて務め忘るる落花かな

会社で使っている掃除機が
古くなったせいか、
だって会社創業のほぼ一年後に購入したものですから、
吸い込みに勢いがなくなり、
新しい掃除機を買うことにしました。
いま流行りのルンバなら、
若手たちの掃除の手も省けるかと思い、
その方向で考えていたのですが、
経理の武家屋敷から
ようやく許可が下りさっそくネットで購入。
昨日、
出社して会社のドアを開けたとたん、
空気感の違いにびっくり。
キッラ~ン!
きけば、
金曜の夜、
ルンバを作動させたのだとか。
ルンバが吸い取ったゴミをゴミ箱に発見しまたびっくり。
どんぶり一杯分は確実。
さすがのお掃除ロボットルンバ。
いやはや、
駄じゃれと言われても、
サンバでも踊りたくなります。

・春山を紫に酔ふ眺めかな  野衾

定義でなく

 

・言の葉の止んで楽しも落花かな

今年メインの読書は
吉川幸次郎の『杜甫詩注』でありまして、
現在、
出版社が替わって九巻まででていますが、
予定としては二十巻で完結。
もちろん弟子たちの仕事になります。
朝、
例によってしこしこと、
蚕が桑の葉を食むごとく読み進めていますが、
驚くのは、
杜甫のすべての詩にわたり、
それぞれの語彙の前例を示そうと構想していること。
吉川さんは、
杜甫を読むために生まれてきた
と豪語するほどの人ですから、
さもありなん。
しかし、
それは勝手な好悪というのでなく、
杜甫の詩に、
それまでの中国文学のエッセンスが
流れ込んでいるとの深い理解あってのことなのでしょう。
思い出すのは、
イギリスで初めて辞書をつくった
サミュエル・ジョンソン。
わたしの誤解でなければ、
語の定義よりも、
どういう文脈でつかわれてきたかの
例を示すことに意が注がれたはず。
そういう外国の優れた辞書を踏まえて、
中野好夫が
日本の辞書批判を行っていた文章も思い出します。
考えるに、
生きた言葉というものは、
特定のだれかが定義して使われるというものではなく、
そこがうれしく、たのしく、
すばらしいところだと思います。

・もういちどやり直したし桜散る  野衾