推敲

 

・隣の娘(こ)吾を追い抜く涼新た

文章は推敲できるから、いい。
何度でもできますもんね。
ところが人生となると、
なかなかそんなふうにまいりません。
言い訳や弁解や
後悔はできても、
やり直しが利かないのが人生。
だって人間だもの、
なんて。
いきなりですが。
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』に、
往年の大女優で、
戦前ソヴィエト連邦に亡命したことでも知られる
岡田嘉子がでていますが、
絵描きの大家を演じる宇野重吉に、
「私、近頃よくこう思うの。
人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。
ああすればよかったなあという後悔と、
もうひとつは、
どうしてあんなことしてしまったのだろうという後悔」
意味深長な言葉で語りかける
シーンがあります。
おそらく
監督の山田洋次が、
岡田さんの実人生をふまえ、
そのセリフを考えたんでしょう。
ほんと、
まったく人生は、
二つの後悔のあざなえる縄のごとく、
どこまで上っても、
また下っても、
ああすればよかった
という後悔と
どうしてあんなことしてしまったのだろう
という後悔が
より合わさっていて、
生きている間、
悟りでも得ないかぎりは、
ひょっとしたらそんなものを得たとしても、
キリなくつづくのかもしれません。
その点、
文章はいいです。
飽きが来ないかぎり、
テーマを捨てないかぎり、
またテーマに捨てられないかぎり、
何度でも推敲できますから。

・下版の日鎌のようなる月懸かる  野衾

人生不可解

 

・夕暮れの首を火照らす残暑かな

ここ数年、
詩に興味を持ち
読んだり書いたりしていたら、
なぜか詩集や
詩の評論の仕事をいただくことが多くなりました。
ただいまは、
T・S・エリオットの詩
に関する評論集を編集しています。
エリオットの詩は、
翻訳ですが
少なからず読んできましたから、
仕事ではありますが、
個人的な興味と感心からもたいへん勉強になり
ありがたく思います。
また、
文章の歯切れよく、
もたつくところがありません。
繊細さとシャープな力のバランスが保たれ、
読んでいて実に気持ちがいいのです。
さて、
興味や関心を持つ領域の仕事をいただくたび、
あれ人生不可解
の疑問符が浮かんでくるわけですが、
このとき思い出すのが、
新井奥邃(おうすい)のあの言葉。
「世に神秘を嗤ふ者あり。学者に多し。思はざるの甚だし。
凡そ清浄なる者は是れ神秘に由らざるはなし。」
清浄なる者は、
「者」と書いて「こと」の意でしょう。
人生は不可解ですから、
なおさら面白く、
滝から身を投げるには及びません。

・ふるさとも町も時得て虫すだく  野衾

朝ごはん

 

・朝霧や靡きふるさと雲の上

いまの時代は一般的に、
朝ごはんを食べるのが健康によいとされていますが、
朝ごはんを食べないことで
胃腸を休めるという健康法もありまして。
それに関する本を数冊読み、
うなずけるところ多々あったものの、
(我田引水的な記述も無しとせず)
その説が正しい
と全面的に信じているわけでもなくて、
ただなんとなく
朝ごはんを食べずに、
一杯のコーヒーだけのほうが
体調がいい、
いいらしく感じるので、
ふだんは朝ごはんを食べません。
が、
ふるさと秋田へ帰ったとなると、
これは百パーセント
朝ごはんを食べます。
アマノで買った薄塩の鮭の切り身を炙ったの、
小屋で飼っている鶏が産んだ新鮮な卵の目玉焼き、
茹でたオクラ、
細く切ったとろろ芋、
母のつくった味噌汁、
炊き立てのご飯、
それにガッコ、
とくれば、
もう食べずにいられません。
したがいまして、
ふるさと三食都市二食が
いまのところのわたしの健康法です。
ていうか食習慣。
それと、
旅にでて
旅館に泊まった翌朝も、
例外的に朝ごはんを食べます。
食べてしまいます。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の二十六回目が掲載されました。
コチラです。

・何告げに老父の前に鹿来る  野衾

栗の木の下

 

・ふるさとの立ちて朝霧靡きけり

十三日の墓参り当日、
集まった親戚ともども午後三時出発。
天気予報は雨を告げていましたが、
そんなに時間をかけるわけでもなし、
まあ持つだろうと
高をくくって出かけたところ、
墓前に線香をあげ静かに煙が燻り始めた頃、
一転にわかに掻き曇り、
ばらばらばらと降ってきました。
墓地のこととて逃げるに逃げられず。
すぐ横の、
割と大きな二本の栗の木の下にもぐりこみ、
しばらく待機。
そうしていると、
いつの間にやら父も母も、
叔父も叔母も弟も、
だんだんだんだん小さくなっていくようで。
さしずめメルモ、
いやメル子、メル太郎。
となれば、
♪大きな栗の木の下で…。
と、
それでも枝葉の間を縫って雨粒は落ちてきます。
やがて小降りになり。
いつまで待っても仕方ありませんから、
メル子メル太郎をはや返上、
しわの数を増やして
木を離れ。
順にお参りを済ませての帰り道、
大きな杉の木の下は、
まったく雨に濡れておらず、
一同瞠目。
雨に降られたときは、
栗の木よりも
杉の木だと、
メル子メル太郎に逆戻り。

・稲妻や臥所の朝を照らしをり  野衾

ビッグイシューおじさん

 

・蕎麦屋にて薄き夏服前にあり

「ホームレスのひとが売る雑誌」
として華々しく登場したビッグイシューですが、
一時に比べ、
このごろあまり見なくなりました。
が、
JR桜木町駅南改札をでて野毛方面へ向かうあたり、
この暑さにもめげず、
連日、
ビッグイシューを売っているおじさんがいます。
おじさんといっても、
おそらくわたしより若いでしょう。
キャップを斜めに被り、
模造紙にマジックで手書きした宣伝文句をちりばめ、
身振り手振りを交え奮闘しています。
そのトークが実に愉快、
くされ政治屋どもの
くされ演説を聴くよりも
ずっと面白く、
いっとき暑さを忘れます。
たとえば。
「………買ってちょうだいこの雑誌。
そんなに悪い雑誌ではないとわたくし思います。……」
うーん。すごい!
ふつうなら
「ほかでは読めない記事満載の雑誌です」
とかなんとか言うところ、
「そんなに悪い雑誌ではないとわたくし思います」
だもの。
この「わたくし」が痺れる。
以前、
「ほかでは読めない記事満載の雑誌です」
的なことも確か
おじさん言っていたように記憶します。
しかし、
そんなふつうの言葉では
買ってもらえないと悟ったとでもいうのか、
いつから使い始めたのか
定かではありませんが、
「そんなに悪い雑誌ではないとわたくし思います」
おじさんに著作権料を払って
使わせてもらおうかな。
「『おうすいポケット 新井奥邃語録抄』
そんなに悪い本ではないとわたくし思います」

弊社は、
明日(12日)から16日まで夏期休業とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

・雲が行く低きところの残暑かな  野衾

立秋

 

・老人ら区民会館残暑かな

「立つ」の反対は「寝る」
かな?
横になって寝ていたひとが立ち上がる。
雲が立つ
という言い方もありますから、
ひとに限らず、
もやもやしてとらえどころのなかったものが
ハッキリ形を成してくる、
ということがもとかもしれません。
さて立秋が過ぎました。
今年はほんと暑かった。
けさ窓を開けたら、
やっと、
ほんの気持ちだけ
涼しくなったよう。
涼しくなってくれっ!
昨夕、
近くの家の食事会によばれての帰り、
蝉の声に混じって
秋の虫の声がありました。
記録的な猛暑酷暑のせいで、
耳も目も肌も
秋をもとめて敏感になっているようです。

・七夕の祭りの市より人来る  野衾

法務局

 

・秋立つや息を殺して見上げたり

久しぶりの法務局。
今をさかのぼること十七年前、
恐る恐る訪ねたものでした。
カウンター越し
受付にいたおじさんに、
「あのう、会社つくりたいんすけど…」
いやあ、忘れもしません、
この切り出し。
「あのう、会社つくりたいんすけど…」
おじさん、
わたしをじろり見て、
「ゆうげん? かぶしき?」
「はい?」
「有限会社ですか? 株式会社ですか?」
「ああ。そう……、小さいから有限」
「小さいから?」
「いや、有限。有限会社を作りたいと思いまして。どうすればいいでしょう」
おじさんまたじろり。
よっぽどトウシロウに見えたんでしょうね。
「伊勢佐木町に有隣堂があります。
その裏手に文房具屋がありますから、そこへ行って
『有限会社の作り方』を買いなさい。
そこに必要なことが全部書いてありますから」
それからとことこ
伊勢佐木町まで歩いたっけ。
きのう、
番号札を持ってソファーに腰掛けていると、
受付の女性から
熱心に説明を聞いている青年がいました。
ワイシャツの背中に、
は・つ・ら・つの文字。
透けて見えるよう。
どんな会社を作るんでしょう?
青年老い易く。
「あのう、会社つくりたいんすけど…」

・朝夕の烏鳴きをり残暑かな  野衾