スカッとした男がいない

 

 沈み浮く井戸で冷やせし西瓜かな

『五重塔』や『大菩薩峠』や『富士に立つ影』や『鬼平犯科帳』や、
古いところでは馬琴先生の『南総里見八犬伝』
が好きなわたしとしては、
『源氏物語』は面白くないことはないけれど、
今いち、よっしゃー!となりません。
それは、
男がぐじゅぐじゅくねくねめそめそたらたらと、
しつこいし言い訳じみているし、だらしがないから。
スカッと爽やかな男がいない。
まあ、千年前の男も今の男も、
そう変わらないといえばそれまでですが、
男ってどうしてこうダメなんでしょう。
自分にもある見たくない現実を、
これでもかというほど見せ付けられます。
現実てんこ盛り!
だからこそニュービーズのような男が見たくもなります。
馬琴先生が『源氏』に批判的なこともむべなるかな。
なのに、読んじゃう。
なんでか。
女のこころが分かるから、
ゴシップめいていて面白いから、
性愛描写が巧みだから、
いろんな場面に出てくる「あはれ」(ものすごく多い)に共感できるから、
男のダメさ加減をこき下ろしたいから、
苦の世界を嘗め尽くしたいから、
……。
いろいろあるでしょうけれど、
いずれにしても『源氏』は仏教に濃く彩られ情愛に充ちた、
ジーンとくる物の哀れの文学のようです。

 八月を眺め黙々宇治十帖