百日練功

 慧中をひらき無限の宇宙を見て、空のような、雲のような、光のようなものが見えますかという先生の言葉に少しでも近づきたいと思っていたら、光が見え、喜んでいたところ、先生から「どうして光が見えるのか」「見えた光は何なのか」「見えた光にどう対処して練習すればいいか」と、公案のような質問を投げかけられ周章狼狽。
 答になるかどうか分からないけれど…、五感への刺激を極力遮断し体を動かし、いや、このごろやっと少し体が自然に動くようになったことがまず大事か。隣り合う細胞と細胞が気持ちよく連関し合い、「ああ、気持ちいいなぁ」「そうだねぇ」なんて会話をし合っているうちに、微量の熱と光を発したような気がする。なので、光は細胞同士がおしゃべりし合う喜びの声…。見えた光にどう対処していいのかは皆目見当がつかず。もったいないもったいないと見ていたのだが、収功に入ったら、いつの間にか消えてしまい、はいそれまで。
 また、光が見えているときと見えていないときでは、現実の目の位置が変わるはずはないのに、光が見えているときというのは、目が実際よりも後ろに引っ込む。たとえて言うなら、映画を最前列で観ていたのに、気が付いたら、後ろの席から観ていた、そんな感じ。とりあえず百日練功をめざして励むしかないようだ。

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