掃除がそれほど好きでもないのに、そのための道具は好きだ。どうせするなら効率的にしたいというこころがあるのだろう。最近嵌まっているのはフローリング用ドライシート。これは便利! 前にもつかったことがあるが、技術は日進月歩する。今回使ってみて、その吸収力には眼を見張るものがあった。おそらく、以前に比べて繊維が高密度化しているのだろう。パイプがついた専用のワイパーに着けてもよし、ドライシートだけでもよし、とにかくスグレもの。
いま一番欲しいのがダイソンの掃除機。1993年に買った三菱の「掃き拭きBrush」は、いまもそれなりに頑張ってくれているが、掃除が終ってコードを巻き取る段になると、とってもイライラする。少しでも捩じれがあるとそこでストップするからだ。ひたいからこぼれた汗がスッと下まで流れずに、深い皺のところで滞留するような感じ。つまり、老化。コードだけの問題ではなく、吸引力も年々低下しているようだし。本当に吸ってんのかようと危ぶみながらカーテン等の布に思いっきり近づけると、ここで威力を発揮しなければご主人(わたし)に捨てられるとでも思うのか、ズルズルズルと勢いよく布を吸い込む。そのけなげさ(!?)にほだされて、まだ買い換えられずにいる。
ダイソンの掃除機は吸引力が低下しないというのは本当だろうか。
「義経」第9回「義経誕生」を観る。遮那王は京を離れ奥州平泉に出発。家来を願い出る喜三太、弁慶、伊勢三郎の同行をゆるし東へ向かう旅は、西遊記や水滸伝、日本なら桃太郎を彷彿とさせ、ワクワクする。義経と同行のものたちの情の通い合いを想像するとたのしい。これからどんな世界が彼らを待ちうけているのか。
それぞれが個性を発揮し、その人でなければ果たせない仕事をきちんとする、そのひとが自分の仕事をきちんと成し遂げることで物語が大きく進展する。しかし、ある時点で脚光を浴びる人物も、その後は後景に追い遣られる。物語はそんなことに一向お構いなくどんどん先へ進む。そういう話が好きだ。歴史はそういうものだということを、わたしは林竹二の「開国」の授業(直接でなく本)で教えられた。
酒が回り、眼がとろ〜んと(たぶん)してくると、気分もいよいよ変化する。折り重なる時間の層が解けて流れて、二年前のことが、ほんのこのあいだのことに思えてきたり。思い出そうとしていないのに甦ってくる。脳の構造なんだろうけれども、おもしろいものだ。
えー、家に帰り、夜中、プロディジーの『オールウェイズ・アウトナンバード、ネヴァー・アウトガンド』をガンガン掛け、その勢いで布団に倒れこみ爆睡、眼が覚めたら朝。
きのうは関東では珍しく雪だったが、横浜では午後から晴れて、ぽかぽか暖かい陽気になった。朝、べちゃべちゃの雪をばしゃばしゃ撥ねながら歩いてきた塞ぎの虫がようやく収まり、風呂上がりのような弛緩した気分にしばし浸った。
ベランダに置いてある黒松やケヤキの新芽が小さく膨らんでいる。ベランダを歩いて左の端まで行けば、雪化粧した富士山が遠くに見える。体を返すと右手後方にはランドマークタワーが偉容を誇っている。
同じビル内に入っているジャパニアスという会社は、業態を順調に推移させ、間もなくランドマークタワーに引っ越すそうだ。社長さんから葉書をいただいた。わたしがジャパニアスのカワイアスと呼んでいる娘さんと廊下ですれ違った時、もうすぐ引越しですね楽しみですねと言ったら、はい、と、いい声でこたえてくれた。
うちは引っ越さないけれど、新しい人が入った。アルバイトで一年頑張ったOさんは四月から正社員になる。何もかも留まることなく微妙に変化していく。頭の中身も変化し思考も変化する。自分のことなのに追いかけられないときだってある。ブラウン運動の宙に向かい、あ〜あ〜あ〜とでっかく背伸びしてみる。
あたって欲しくない天気予報があたって、本当に雪。わたしがいまいるここは、鎌倉街道につながる道を見下ろす山の頂上で、反対の山の斜面に並ぶ家々に降り積もる雪がとてもきれい。眺めているだけならいいけれど、これから出かけることを思うと憂鬱になる。こちらに降る雪は、北の雪と違ってすぐにぐちゃぐちゃべちゃべちゃになる。踏みしめても、きゅっきゅっと絞まった感じがない。などと文句を言っても始まらないか。
秋田生まれで餅肌のわたし(アハハハハ…)は、髭を剃ることにかけて、かなりのこだわりがある。
シェーバーは、日本製のものから外国のものまでいろいろ試した結果、やはりブラウンが良かった。最近テレビのコマーシャルをとんと見なくなったが、街角でサラリーマンを捕まえてはジーッとやってもらって、トントン、はい、剃れましたねえ、というアレだ。
が、ブラウンも含めシェーバー全般がわたしの肌に合わぬらしく、最近はもっぱらGilletteの3枚刃の剃刀を使っている。もう何年も。
ところが、またまた最近、とは言っても去年だと思うが、他社から4枚刃の剃刀が出た。単純なわたしは、3枚刃よりは4枚刃だろうと単純に考え、さっそく買って試してみた。ら、ことはそれほど単純ではなかった。
というのは、あくまでもわたしの個人的体験によればということだが、3枚刃にくらべ4枚刃のほうが、どうしても刃が並んでいる場所の面積が広くなる。3枚刃が5ミリあるとすれば、4枚刃はそれよりもちょっと広い。そのちょっとが実際問題おおきな違いとなって現れる。
鼻の下でも顎のところでも割にフラットな箇所は、さすが4枚刃のほうが威力を発揮する。ところが、顔というのはご存知のようにフラットではない。デコボコしている。鼻と鼻の下の境界のところを剃る時において4枚刃は難渋する。ちょうど区画整理されていない不定形の田んぼに最新式のコンバインを入れるようなものだ。牛刀を以て鶏を割くたぐいかも知れぬ。
数が多けりゃいいという、そんな単純なことではどうもない。
三月に入って少しは温かくなるかと思いきや、昨日の寒さには参ったよ。
仕事帰り、小料理千成に寄って、いつもなら昆布焼酎をオン・ザ・ロックで飲むところ、とてもじゃないが氷など見る気にもなれず、お湯割りにした。「え! 珍しいじゃん!」じゃんて言われようが、寒いんだから仕方がない。料理もあったかいものを頼み、二、三杯飲んでいるうちに体もようやくあったまる。
「このあいだの『義経』、常盤が一瞬いい顔したなあと思ったら、そのことをホームページに書いてあるんだもの」とママ。
「ん!? ママ、読んでくれたの。ありがたいね。どうもどうも。あの一瞬の表情ね。よかったよなあ。見とれたもん」
「母の顔だったね」
「母の顔…。そうか」
「おれも今度からインターネット見れるようになったから」とかっちゃん。
「どしたの?」
「娘が新しいパソコンを買ってさ、古いのをもらったんだよ。電源入れてから見れるまで五、六分かかるんだよなあ」
かっちゃ〜〜〜ん、ママ〜〜〜、見てるううう?
帰宅後、知人からありがたい電話が掛かってきた。子供たちがまだ小さく、やんちゃな盛り。下の男の子が電話を替わりたがり電話口に出て、「おじちゃん、いくつ?」「47」「★$♂知ってる?」「知らない」「ポケモン知ってる?」「知ってるよ」「◎◆△¥知ってる?」「知らない」「♀〓※≦知ってる?」「知らない」「おじちゃん、なんにも知らないんだね」なんてことで、トホホ…。暗くて長い坂道をとぼとぼ帰ってきたのだが、炸裂する質問にパワーをもらい、すっかり元気になった。