恩師のT氏を迎えに夜、保土ヶ谷駅に行った。休日の9時を過ぎていたから、ひともちらほらとしかいない。わたしは改札の正面に立ち、階段のほうを睨むようにしていた。
うしろでなにやら声がしたので振り向くと、初老の男と女がいけない抱擁をしていた。そんなにまでしなくても、と思った。ふたりとも相当酔っているようなのだ。別れのことばを言っては抱き合い言っては抱き合いしていた。ふたりを勝手にさせといて、わたしはまた体をもどし、階段のほうを睨んだ。T氏はまだ現れない。
いけない男が改札を抜け、わたしの視界に入ってきた。後ろを振り向き振り向き、手を上げたり、頭と両腕をだらりと下げたりしながら、蟹股の脚を階段に向けて歩き、視界から消えた。振り向くと、見送った女は手のひらで二、三度、顔を洗うようにこすると、回れ右をして階段を下りていった。途中、体をぐらりと揺らし、手摺りにつかまって、ダ、ダ、ダダダダ、ダダ、ダ…、と、不規則なリズムで歩をすすめ、やがて閉店したスーパーのほうへ姿を消した。体を戻し、またわたしは階段のほうを睨む。その時だ。目の前に大きな蟻地獄が出現し、さっきの男と女がずりずりと引きずられていく姿を見た気がした。
下で電車の到着する音がする。蟻かと思いきや、ぞろぞろと現れたのは人間で、変な妄想を振り払うべく、わたしはテレビドラマのように頭を振った。と、サッと手を上げる人がいて、見ればT氏だった。
改札を抜けたT氏が帽子を脱いでわたしにお辞儀をした。「お疲れさま」と言ったわたしの顔が、蟻になってやしまいかと一瞬心配になり、顔が火照った。T氏は何もおっしゃらなかったから、蟻の顔ではなかったのだろう。歩道橋を渡り、国道1号線沿いのタクシー乗り場でタクシーを拾い、山の上へ向かった。
横浜の街を歩いていたら女性の着ている服、春のコート、ネクタイも、やたらとピンクが多く、目に付いた。今年の流行なのだろう。流行のものに触れていいなあと思えるということは、どこかにだれか天才がいて、今年の気分をいち早く察知しているのか。
本で読んだか人づてに聞いたか忘れてしまったが、西陣織の有名な店主が毎年パリコレに出かけるという。その話を聞いたあるひとが、世界が違うのでは? と質問したところ、かの店主は、パリコレに出かけることでその先の流行を知る、と答えた。パリコレで発表されたエッセンスが十倍薄められて日本へ上陸し、さらに十倍薄められてその年の流行になるから、と。今はもうその話は通用しないのかもしれないが。
もうひとつ、ピンクで思い出すのは、なんといっても岡崎京子の傑作マンガ、ワニも登場する少女の哀しく切ない物語『ピンク』。愛と資本主義の極北。今は亡き師匠安原顯さんにおしえられ読んだのが最初だった。
ともあれ、ピンクな気分がわたしのこころにも染みてくる今日この頃である。
武家屋敷ノブコと昼食を食べに行ったときのこと。二人がけの小さなテーブルに男と女が向き合い、15センチほどの距離を置き、その奥の四人がけのテーブルがひとつだけ空いていた。ほかのテーブルはぜんぶ客で埋まっている。わたしと武家屋敷はこれ幸いに、手前の男女にことばをかけ、うしろを通させてもらい壁に接した奥のテーブルに着き、メニューを見てそれぞれ好きなものを注文した。
しばらくして、夫婦であろうか老齢の男女が店に入ってきた。男のほうが「座るとこないね、座るとこないね」と言った。七十代後半から八十がらみだろう。わたしはその男のほうを見た。男は狭い店内を何度も見まわし、「ダメだね。座るとこないね」と言った。「出よう」と妻に言い、それでもあきらめきれない様子だった。口の周りに泡が乾いてはりついている。
待つでもない帰るでもないふたりの老人を見、店の主人が奥から「すみませーん!」と声をかけた。と、横にいた中年男性が、わたしと武家屋敷が座っているテーブルを差し、「座って待っていればいいじゃないですか。すぐですよ」と声をかけた。「どうする?」「待ってましょうか」老夫婦は身をちぢめ、それでも狭くて体を通すことがかなわず、声をかけた男性とその向かいの女性が箸を置き立ちあがり、やっとテーブルの間を通りぬけてわたしたちのテーブルに着いた。わたしは半身になり、壁に体を押し付けた。
やがて、老夫婦に声をかけたくだんの中年男性と連れの女性は食事を終え、帰っていった。老夫婦は「注文取りにこないね」「ええ」とことばを交わしたあと、男のほうが体をねじり厨房に向かい「おーい」と声をかけた。女将さんが「すみませーん。少々おまちくださーい!」と答えた。わたしの隣りに座っていた老婦が「こちらの席へ移りましょう」と言って、中年の男女がいた席へ体をずらした。すると、年老いた夫が、「馬鹿。テーブルの片付けが終っていないところに座って、おまえが食べたと思われたらどうする」と真顔で言った。わたしはもう一度その男の顔を見た。口の周りの白い泡は忘れられたなぎさを彷彿とさせ、しょっぱそうでどうにもやりきれない。ようやく注文を取りにきた女将さんに向かい「卵どんぶりをふたつ」と男は言い、片付いたテーブルを見遣り、サッと体を移動させた。
松島アキラのヒットソング。シングルレコードが昭和36年発売だそうだから、わたしはすでに生まれていて、父や叔父を真似て三橋美智也のものなどを歌っていた頃だ。
「湖愁」がそんなにヒットしたのなら、当時わたしの耳にも入っていてよさそうなものだが、トンと記憶にない。昭和36年といえば、家にまだテレビが入っておらず、ひょっとして父や叔父の好みに合わず口ずさむことがなく、それで、知らずにきてしまったのかもしれない。いい歌だなあと思ったのは、コットンクラブに来るKさんやIさんが歌っていたからだ。
ゆっくりと物静かに始まる曲は「かわいあの娘よ さようなら」で切なさの極をむかえる。失恋の歌だ。歌謡曲っていいなあと思う。あたりまえだが、KさんとIさんではそれぞれ歌い方が異なる。それぞれ味がある。声も、Kさんのそれは歌手で言ったら守屋浩にちかく、Iさんのそれは橋幸夫にちかい。Kさんが歌えばKさんの「湖愁」だしIさんが歌えばIさんの「湖愁」だ。同じ歌でもおのずとニュアンスが違う。それを聴き分けるのもたのしい。おふたりとも十代の頃だろうから、思い出と重ね合わせて歌っておられるのかもしれない。
自分がくぐってきた時間なのに、ちょっとした掛け違いで今まで知らなかった。こういうことがたくさんあるのだろう。
ナウい! と、堂々と言うひとがいた。駄目押しのようにふたたび、ナウい! 死語であることをご存知ないようなのだ。ナウい! 齢六十過ぎだろうか。そのひとに比べたら、わたしは少し若いから、ナウい! とは言わない。が、同様のことはいくつもある。なんだっけなあ。すぐには思い出せないが、若い社員に指摘されたことがあった。え、使わないの? って本当に思ったから何人かに確認した。やっぱり使わないとのことだった。
ためしにGoogleで「死語」をキーワードにして検索すると出てくるわ出てくるわ。「うっそピョーン!」なんていい気になって使ってきたが、ちゃんと死語リストに入っていた。「ってか」もよく使う。「な〜んちゃって」はほとんど使わないが、気がゆるんでいるとき使っているかもしれない。名詞は意識して使わないようにしているものの、語尾を今風(これもか?)にしようとして、死語であることを知らずに、つい使ってしまうことが多いようだ。
この日記も、若いひとが見たら、恥ずかしくて読めないようなことばがガンガン(これも?)出てくるんだろうなあ。流行語(かつての)と知らずに使っている流行語、これが怖い!
太宗庵で鍋焼きうどんを食していたときのこと。女将さんが座敷に置いてあるテイッシュペーパーの箱を新しいのに替え、封を切り、最初のテイッシュを引き出した。そうしたら、二枚重ねのテイッシュが六枚ほどゾロゾロッと出てきた。女将さんはそれを捨て、見栄えのよい状態にして所定の場所に置いた。
いつも思うのだ。テイッシュペーパーの箱を開け、最初のを引き出すとき、ゴソッと出ない方法はないものか。その方法をあみ出したら特許を取れるのではないだろうか。ゴソッと出てきたテイッシュがもったいなくて、鼻水も出ていないのに無理して鼻をかんでみたり。
身に覚えがあったから、女将さんにそのことを話した。女将さんいわく、最初のを引き出す前に箱を前後左右に振るといいですよ。いま、そうするのを忘れてしまったわ…。へ〜! そうなんだ。知らなかった。今度からそうします。
積年の疑い(?)が晴れ、ひとつ賢くなった気がしたが、箱を振るだけでは特許にはならぬな。
来月刊行予定『神の箱 ダビデとその時代』の著者で、名古屋大学教授のI先生から声をかけていただき、この日曜日、春の清清しい江ノ島の海を堪能した。かつて禅僧が修行したとされる洞窟にも入った。
岩場に突き出た茶屋で海の幸に舌鼓を打ちながら飲むビールや酒は格別。先生のほうがお客様なのに、前回もそうだが、わたしもイシバシもすっかりご馳走になり、帰りはお土産まで買ってくださり、恐縮至極。ありがとうございました。
『神の箱』は、欧米における最新のサムエル記研究に基づき、一般の人でも興味をもってその時代に入っていけるようI先生が心血を注いだ小説だ。わたしは、小説だということでガンガン手を入れた。最前衛の研究を拠り所としていても、日本語の小説、日本語の文章ということであれば、わたしの仕事が成り立つ。また、そこでしかわたしの仕事は成り立たない。
先生は、わたしが入れた朱を見ながら、なるほどと納得したり、ミウラ、そこはそうではないだろうよ、と、真剣勝負だったとおっしゃった。ありがたかった。わたしも原稿を前に真剣勝負だったから。こういう真剣勝負ならまたしてみたいとも先生。何度でも仕事を通じてことばを磨き自分自身を吟味したいと今度も思った。