梅雨どきですが、この季節の朝もなかなかいい。みずみずしい(そりゃ梅雨だもの)というかなんというか、なんかこう、細胞の一個一個に適度な水分が補給され、みたいな…。
むかし秋田の実家で馬を飼っていたとき、朝もはよから父は草刈りに出かけ、わたしたちが起き出す頃には帰ってきて、たっぷり水分を含んだ草をドサリと馬小屋の前に下ろしたものだ。もやもやと蒸気が昇る。それを馬が食む。こめかみから頬にかけての血管を浮き立たせ、見ているこっちまで顎が疲れそうなぐらいの勢いで上顎と下顎を臼みたいに擦り合せるのだ。草食動物が目の前にいた。わたしの家の馬だ。馬小屋からは延々蒸気が立ち昇っていた。そういう風景が不意によみがえる。
首から肩にかけての線、圧倒的な尻と腹、無駄のない筋肉、まるでいのちの爆発に触れるよう、息苦しいぐらいの戦慄が走った。
「わすれものねがぁ〜?」「いってきまぁ〜す!」
薄ボンヤリとでなくハッキリ、クッキリと。会社を起こして六年目、お金のことも含めて全体を見ることは難しくもあるが、とても愉快なことでもある。特に若い人が個性を発揮してグングン力を付けていくのを見るのは楽しい。
若い人がさらに若い人(いつの間にやら「若い人」「若い人」って言うようになってるなぁ)に教えている言葉を耳にし、ふむー、なるほどねぇ、と思って聞くことがある。わたしが数年前に伝えたことを、そのままでなく、その人の個性で消化し、自分なりの言葉で教えている。そういう場面に出くわすと無性にうれしい。
伝えたそのままをオウムみたいに伝言しているだけなら、言葉のリレーゲームを見るようで、そんなにうれしくはないだろう。そのままでないということは、大げさにいえば、理解され、消化され、進化発展を遂げていることの証しと思うからうれしくなる。
ん! らっかんてき?
スティービー・ワンダーの新譜が遅れている。そんなに熱心に待っているわけではないわたしがヤキモキしているのだから、熱心に待っているファンの気持ちはいかばかりだろう。
『インナーヴィジョンズ』『ファーストフィナーレ』『キーオブライフ』(このラインナップ! 無敵!)のヒット作を立て続けに出した頃がやはりピークなんだろうけど、その後もずっと好きで聴いている。あのシャウトする声に武者震いしたものだ。わけもなく、よしがんばろう! という気になった。テレビで初めて見たとき、まばたきするのも惜しいぐらいな気合で見ていたっけ。今は亡き祖母がテレビのスティービーを見て「がんばるふと(秋田弁で「ひと」のこと)だねぇ〜」と言ったのもなつかしい。
「アナザー・スター」あれ、弱いのよ。いや、曲が弱いのじゃなく、あれを聴いたときのおいらのことで。『キーオブライフ』に入っているのだが、聴くたび、井戸の底の方からグワッと感動が湧いてきて涙したものだ。今はさすがにそんなことはない。でも、井戸の底の底のほうで感動の鈴(ク〜ッ! 臭)が小さく震えるのは相変わらず。新作『A Time 2 Love』、かの名曲「スーパースティション(迷信)」風のものも入っているというから楽しみ。ヤキモキしながら待つことにしよう。
NHKでおもしろい番組をやっていた。変わった趣味(本人はそんなふうには思っていないはず)の人を集め紹介する番組で、ある女性は、バスが好きで好きでたまらなく(それも特定の線型のが好きとのことだったが、忘れた)とうとう中古の○○線型のバスを買って自家用車として使っているとか。消防自動車やはしご車が好きで本物を購入した中年男性もいた。輪ゴム鉄砲づくりの趣味が嵩じて、日本輪ゴム鉄砲学会みたいなのをつくり、今では会員が千人を超しているとか。男の人でシャワーキャップ収集が趣味(?!)の人も。紙相撲は横浜が重要拠点らしい。横浜国技館というのがあって、国技館のミニチュア版が六畳の部屋の中にある。呼び出しや行司までちゃんといて、それなりに厳格なルールがあるらしかった。
最初は「世の中には変わった人がいるなぁ〜」と岡目八目で観ていたのだが、なんだか、だんだん羨ましくなってきた。
出演者の皆さんは、三十代から五十代が多そうで、おそらく周りから「いい歳をして何をやってるの」と言われているのではないだろうか。いや、きっと言われている。でも、たとえば番組中、奥さんにナイショで三十万円ではしご車を買い、消防士の格好をしてレバーを引き、はしごがスルスルと空に向かって伸びていく姿を見て「いいもんですねぇ〜。いいもんですねぇ〜」と繰り返す晴れやかなおじさんを見てなかなか笑えないと思った。奥さんは困ったものだと嘆くかもしれないが、他人に迷惑を掛けているわけではない。
「いい歳をして」はふつう揶揄していう言葉だが、「いい」のアクセントを変えるとニュアンスも変わる。
先日、寝転がって何気なくテレビを見ていたら、洋画家の小出楢重(こいで・ならしげ)が出てきたので、居ずまいを正して番組に見入った。テレビ東京「美の巨人たち」。画家の人生を一般の人にも分かりやすく興味深く取り上げてくれるので好きな番組だ。それに楢重の「Nの家族」が取り上げられていたのだ。Nは楢重。
大阪生まれ大阪育ち、身長一五六センチ、体重五十キロに満たない小男(みずから骨人と称す)ながら「東の劉生、西の楢重」と呼ばれるようになった孤高の天才画家。特に彼の描く「支那寝台の女」など裸婦像が素晴らしく、番組では、日本女性の裸の美しさを描いたものとしてNo.1と称えていた。楢重に卑屈は似合わない。数年前、横浜そごうで「小出楢重展」があったが、そのとき「支那寝台の女」を初めて目の当たりにし、息を呑んだ。西洋の脚が長いばかりのヌードなど目じゃないと思った。
番組に我らが小出龍太郎先生が出てきたので、ググッとさらにテレビに寄る。先生の背中には小社刊の本がズラリ。『文学にひそむ十字架』『小出楢重―光の憂鬱』『ちょっと、教養―20代女性のための芸術案内』アハハハハ… 先生、やるぅ〜♪ うれしいな。ありがたし!!
ユースケ・サンタマリア演じる交渉人の真下正義が、何者かにのっとられた地下鉄の最新鋭実験車両事件に挑むというもの。「踊る大捜査線」から派生・発展した作品とのことだが、単体で十分たのしめる作品だと思う。テンポもよく、今の時代に起こりうる犯罪の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。また、のっぺり無表情のユースケ・サンタマリアが、交渉人として犯人と巧みに交わす心理戦は、どこまでが計算で、どこからが本音だろうかと観ていて興味尽きず、いや、本音と思われた言説も実は交渉人としての計算のうちではなかったかと思わせるあたり、なかなかのもの。2時間7分があっという間。おもしろかった。
さてこれから観ようと階段を登っているとき、見終わった前の客が結末についてコメントしながら出ていったのは反則。
わたしが使っている会社のパソコンがカタカタカタ…と無気味な音がして、とうとう壊れた。たがおがマイ・ドキュメントとアドレス帳を救ってくれたのでよかったが、あとは儚く消滅。すぐに業者に連絡し、本体だけ取り替えることに。一昨日設置完了、旧に復す。取り替えるまでの数日、なんとも心もとない時間を過ごした。
パソコンがなくてもできる仕事はあるから、それをしてればいいではないか、とは思うものの、思考自体がこの頃ではパソコンと共にあるみたいな状態だから、パソコンなしでは夜も日も明けぬ。思考停止。
いつからこうなってしまったのだろう。会社を起こしてから。メールをやり取りするようになってから。売掛け、買掛け、在庫、資金繰りなどの表をエクセルで作るようになってから。いろいろな作文をパソコンを使って書くようになってから。「よもやま日記」を付けるようになってから。etc.
パソコンだと下書きと清書の手間が省け、いくらでも、書きながらでも直せるから、思考そのものをクリーンにしていくような気持ちよさがある。文章を綴りながら除雪し道が出来ていく(雪国出身者の比喩)のを眺める心地よさ。便利さだけではなく、便利さに伴うこのこころ、「快」の点数が加わっているような気がする。そうそう、もう一つ、タバコをやめられたのもパソコンを使うようになってからだ。ほんと。ニコチンの「快」がパソコンの「快」に変換した、か。うーん? それは牽強付会、できすぎか。でも、タイミング的にはそうなんだよね。
