静黙

 夜半(よわ)過ぎて耳は外向く猫の恋
 新井奥邃(あらい・おうすい)の言葉に「静黙」がある。奥邃が舎生と共に暮らした謙和舎は静黙が支配した。
 △夫れ静の真は神の心に在り。故に人能く神に近づけば其心静なり。若し神に遠かれば其心静ならず。其心能く静にして而る後人能く神の心に楽む。
 △是れ言ふべからざるの楽なり。若し其れ語ることあれば、必ず黙を以て語る。真楽の言は誠に静黙の中に動く。神の心の静息なり。覚知以上の覚知に属す。我以上の我に在り。常に小童の愛を以て神の御旨を得。
(「投火艸 七」『新井奥邃著作集』第5巻176頁)
 真楽の言は誠に静黙の中に動く。恩師でもある演出家の竹内敏晴さんが作った絵本が一つだけあるそうだ。最近そのことを、ある雑誌で知った。作・竹内敏晴、絵・長谷川集平。
 竹内さんがたった一つこだわったことがあるという。それは、言葉のないページをつくること。
 ネットで調べたら、もう絶版になっているらしく在庫がないとのこと。中古市場で手に入れた。言葉は、言葉のないページからかもし出される。
 まるまると黙して居りぬ寒雀

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かげひびき

 威厳もて黙して居りぬ寒雀
 新井奥邃(あらい・おうすい)の言葉だ。影響と書いて、かげひびき。わたしは、この言葉が好きだ。
 影響という字は、画数が多く、口角泡を飛ばしてがなりたてる政治家のようで、なんだか厳めしい。この作品はだれそれの影響によって作られたもので…、美術館の展示物の説明文のようでもある。そっけなく、死んでいる。
 かげひびきは、もっとかそけく、静かに、生きている。
 昨日の朝、保土ヶ谷駅のホームのベンチに座っていると、ケータイが鳴った。心当たりの人があったけれど、ディスプレイには名前でなく、電話番号が表示された。登録している人からではない。男鹿のおばさんからだった。
 息子のパソコンで、この日記を読ませてもらったという。ケータイ電話でも見れるとも。日記のネタにされてしまったね。それで、わたしも一句作ってみたのよ。寒雀 孫に取られて 泣く子かな どう? もっとも、これは、わたしと孫のあなたにしか分からない句だけどね。これから、たまに見るからね。じゃあ、5月にまた。頑張ってね…。
 ぽかぽかとこころが温まったことは、かげひびきとなって1日の仕事に影響する。理想と現実という言葉で切って捨てられるものではない。
 米粒を置いて逃げろや寒雀

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寒雀

 夜半(よわ)過ぎて獣のなごり猫の恋
 男鹿に嫁いだおばさんから電話があった。ヤクルトにまつわる祖父の話でひとしきり盛り上がった後、おばさんは寒雀のエピソードを話してくれた。
 今は法律で禁止されたのだろうが、わたしが子供の頃は、空気銃で雀をよく捕った。もちろん、子供のわたしが扱えるわけはない。父の弟が二人いて、二人ともよく空気銃を操った。わたしや弟は、猟犬のように、おじさんの後をくっついて歩き、撃ち捕った雀を拾った。
 おばさんが教えてくれたエピソードとは、捕った雀の毛をむしり、砂糖醤油で焼いて食べさせてくれるのは祖父の役目だったが、いちばん美味しい胸肉は、孫のわたしや弟の口に入り、おばさんや、おばさんのすぐ下の敏子おばさんには、気持ちの悪い脳みそが入った頭や首や尻などが廻ってきた。孫にはかなわない…。
 この季節になると、思い出すそうだ。
 撃ち捕りて食いも食ったり寒雀

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そうそうそうそうそう

 あのねママ木はお母さんつくしの子
 会社の帰り、電車が保土ヶ谷駅に到着し、ワッと人が降りて階段に向う。これが嫌だ。じょうごに米粒が吸いこまれていくような具合で息苦しい。なるべく、大勢の人をやり過ごし、少しまばらになってから歩き出すようにしている。
 階段に足をかけると、上から生きのよい女子高生だろうか、ふたり、タッタッタッとステップも軽く下りてきた。前の娘は後ろを振り向かずに後ろの娘に話しかけながら。前の娘に足並みを合わせるように下りてくる後ろの娘が、そうそうそうそうそう、と言った。とてもリズミカルで、ちょっと音楽みたいで、わたしは思わず、階段の途中で足を止め、指を数えていた。そうそうそうそうそう。5回か。3回ぐらいかと思ったのだが、5回も繰り返していたのか。そうか、5回もか。
 先生怒ると道ができるよ春の午後

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ヤクルトおじさん 2

 春はそこ豆腐は白い味だよね
 同郷の幼なじみのSさんからメールをいただいた。
 Sさんもヤクルトおじさんからヤクルトを取っていたらしく、わたしと同年でもあるし、思い出深かったのだろう。
 今のようなプラスチック製の容器ではなく、ガラス製の容器に入っていたヤクルトは、冬ともなると、シャーベット状を呈し、箸やスプーンで掻き出さないと食べられなかった。もともとは飲料なのに、飲む、でなく、食べる。それはそれで、なんだかいつも飲んでいるヤクルトとは違った食べ物の感じがして新鮮、かつ美味しかった。
 Sさんのささやかな望みは、小さな瓶に入っているヤクルトを3本ぐらい、大きなコップに移してグビグビと思いっきり飲むことだった。言われてみれば、たしかにあの量、ん、んめーなー、と思ったその瞬間に失くなっている。まるで初恋の味…。てへ(死語か)。
 今日は会社にヤクルトねーさんの来る日。
 りなの絵がお出かけしちゃった春休み

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ヤクルトおじさん

 交差点スノーと言へり眼鏡美人
 小社が入っているビルに、ヤクルトの製品を販売するおねえさんがやって来る。フロアごとに曜日が決まっているらしく、春風社は月、木。
 いちばん奥の窓際の席から、デカイ声で「おはようございます」と挨拶はしても、ヤクルトもジョアも買ったことがなかった。ところが、ふと思い立って、このごろは、おねえさんが来ると必ずヤクルトを2個、買うようにしている。
 子どもの頃、ヤクルトおじさんがいた。祖父の友達で、店をやりながら、毎日ヤクルトを配達していた。祖父がどうしてヤクルトを飲むようになったか定かではないが、もう若くはない友達がはじめた新しい商売に、そんな高価なものではないし、ひとつ協力してやろうと思ったのではなかったか。
 祖父は、自分で飲む以外にも、わたしや弟にも買って飲ませてくれた。小さなビンに入っているヤクルトを、祖父は口をすぼめて大事そうに飲んだ。わたしも弟も祖父の真似をして、口をすぼめた。
 あるとき、祖父は父に、ひどくたしなめられたことがあった。今さらそんなものを見てどうする…。ヤクルトおじさんに誘われ、映画を観に行こうというような話だったと思う。どうもそれが真っ当な映画ではなさそうなのだった。
 父に意見されて、祖父は、結局その映画を観に行かなかったと思う…。
 ヤクルトの味は、皺の寄った祖父の唇であり、春先の乾いた土の香りであり、ヤクルトおじさんの古びた自転車の錆びの色であり、わたしと弟の、失われてしまった秘密の時間でもある。
 春の陽を浴びて寒梅ほころびぬ

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きなきな

 泥の雪溶けて乾いて埃立ち
 詩人・俳人の加藤郁乎さんからお手紙をいただいた。お願いしてあった目録新聞用の俳句五句を早々に送ってくださったのだ。
 原稿用紙に堂々たる筆文字で記されている。その一句に、きなきなということばがあった。初めて見ることばだ。
 流麗な文字を読み違えているのだろうか。さっそく大辞林をひらいてみる。
 きなきな。(副)思い悩むさま。
 へ〜。そうか。きなきな。きなきな。きなきな。
 声に出して言ってみると、悩むこころと体の状態を表して過不足ないような気になってくるから不思議だ。
 ふきのとうまだかと登る丘険し

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