教え子

 休日、横浜駅のホームで、横須賀の高校に勤めていた時代の教え子を見た。線路を挟んで反対側のホームを歩いていたから見間違えるはずはない。
 Yさんは高校生のときからスッと立ち、涼しげに颯爽と歩く。よほど声をかけようかとも思ったが、やっぱり、よした。
 Yさんはちょっと立ち止まり、数秒なにか考える風情だったが、上り東海道線の電車がわたしの乗る横須賀線の電車よりも早く到着し、人ごみの中に消えた。声をかけずに良かったと思ったけれど、だまって見ていたことを少し後ろめたく感じた。

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造本装幀コンクール

 日本書籍出版協会からの知らせで、小社刊行の『Beowulf』が第41回造本装幀コンクールの外国語版部門で日本書籍出版協会理事長賞を受賞したことがわかった。小社としては、『妊娠するロボット』以来2度目の受賞となる。装幀者は長田年伸、印刷・製本はシナノ。
 長田君は大学在学中、新井奥邃に興味を持ち、卒論も新井をテーマにした。卒業後、小社に入社し、いくつもの本を手がけたが、デザインへの興味が強くなり、さらに勉強すべく会社を去った。今はデザイン事務所で研鑚を積んでいると聞いた。わたしは、長田君の装幀が認められたことが、何よりうれしい。彼が今後どういう進路に向かうにしても、見よう見真似で始まった仕事が、小社時代にすでに人さまが認める域に達していたことは疑いようのない事実。その意味で、春風社は若い人にとっての実験場であってくれればと思っている。若い人が伸び伸び、生き生きと動いている空間が一番だ。

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二度手間

 ある手続き上の書類が送られてきて、必要なものを揃え指示通りに送ったのに、書類不備で突き返された。だったらなんで最初から言わねんだ。ったくよー。よっぽど担当のものに文句を言ってやろうかと思ったけれど、文句を言ったところで埒があかない。仕方がない。というわけで、今日は朝一番で法務局に出向くことになった。
 法務局といえば、会社をつくるために初めて訪れたときのことが忘れられない。「あのー、会社つくりたいんスけど」。受付にいたそのフロアの業務をすべて熟知しているという風情の男性が怪訝そうな目でわたしを見、「有限ですか。株式ですか」。「どう違うんですか?」とわたし。「知らないんですか?」「いえ。あの、知っています。有限です」「有限ね。伊勢佐木町の有隣堂の裏手に文房具店がありますから、そこで『有限会社の作り方』というのを買って、それに記入して提出してください」。あのとき言われたことばは正確に憶えているのに顔を思い出せない。ミスター法務局。

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1300年間で2人目!

 4年に1回開かれるオリンピックのマラソンでは世界記録が次々更新されるが、なんと1300年の歴史で2人目という奇跡的な偉業を成し遂げた人がいる。塩沼亮潤さん。昭和43年、宮城県生まれ。
 修験道のなかでも最も過酷な行とされる千日回峰行にいどみ、みごと満行を果たした。
 昭和63年に吉野の金峯山で出家得度。千日回峰行満行に9年の歳月を費やしたというから驚く。山を歩く期間が5月3日から9月22日までと決められていて、1年で4か月120日しか歩けない。あとは霜が降りたり雪が積もったりで、物理的に無理なのだそうだ。
 往復48キロの山道を1日16時間で駆け上り、駆け下りる。夜の11時半起床。滝で身を清め、その後500段ある階段を上って行者の参籠所に行き、そこで着替えをしながら小さなおむすびを二つ食べる。12時30分頃に編み笠をかぶり提灯一つ携え、一人で山へ分け入る。24キロ先にある折り返し地点の大峯(おおみね)山頂に着くのが朝の8時半。そこで小さなおむすびを食し、来た道を下って吉野山に戻ってくるのが午後3時半。「自分のことは自分で」というのが吉野の修験の掟で、山から戻り泥だらけになった装束を洗い、掃除をし、それから食事をとる。山を歩いて気がついたことを日記につけると午後7時。それから4時間半の睡眠をとり、11時半に起床。また山へ入る。……
 3か月目がちょうど梅雨明けにあたるらしく、そこでぐんと体力が落ちる時期があるそうだ。その1週間くらいは決まって血尿が出る。それを過ぎると体が軽くなるという。ある時、夜中に山道を歩いていて、急に足をつかまれたように両足が動かなくなった。「あれ、何だろう。ここはどこだろう」と我に返ったら、30センチくらい先が崖っぷちだった。うとうとしながら歩いていたことに気づいたという。
 毎月送られてくる『致知』に塩沼さんと筑波大学名誉教授で遺伝子工学の村上和雄さんの対談が載っており、むさぼるように読んだ。百日練功でもおぼつかないというのに、1300年間に2人目という千日回峰行の過酷さを想うと眩暈がしそうだ。というか、想像を絶する。顔写真も載っていたので、よく見たが、拍子抜けするほどの温顔なのだ。とがったところなど微塵も感じられない。現在は仙台市秋保(あきゅう)にある慈眼寺住職。
 もっと知りたくなったので、さっそく『大峯千日回峰行』(春秋社)をネットで注文。

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さかなクン

 さかなクンという変なタレントがいる。頭にハコフグのぬいぐるみをかぶり、独特の甲高い声でしゃべる。番組の司会者などから質問やコメントをされると、キャッ、キャッ、と、釣り上げられた魚がぴちぴち跳ねるような仕草をする。小さい頃から魚が好きだったとかで、魚に関する造詣は並々ならぬものがある。大学の准教授も務めているそうだ。
 ところでさかなクン、横浜の中田市長に似ている。兄弟、というより双子ほどに。前もっての情報がなくて双子といわれたら、そうですか、となるだろう。
 数分、大発見のつもりで悦に入っていたのだが、疑問がもたげ、ネットで調べたところ、世間ではすでに二人が似ているということが通り相場となっていた。面会の場面で中田市長がさかなクンのハコフグのかぶり物を被ったこともあったらしい。大発見どころか、世間から遅れていただけだった。

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じょんがら一代

 多聞くんからの情報で、前からナマで一度見たいと思っていたギリヤーク尼ケ崎さんの大道芸を見る機会を得た。5月19日夜、東横線白楽駅下車六角橋商店街にて。
 月の第3土曜日はいつも催し物があるらしく、街は昭和の下町に戻ったようななつかしいにぎわいを見せていた。若い人たちのライブ演奏があったり、裏通りの店々から客を引く声がかかったり。歩くだけで楽しくなる。
 ギリヤークさんは今年77歳。9時ちかくになって、アスファルトとコンクリートの道端に車座に陣取った客たちのなかに、ようやくギリヤークさんが現れた。衆目にさらされながら、普段着を脱ぎ衣裳に着替えていく。その一つ一つの動作がすでにぴんと張り詰めた緊張感をはらみ、客の目とこころを静かにとらえていく。手鏡を見ながらドーランをぬる後姿を見ているうちに涙がこぼれた。写真家の橋本さんが吸いこまれるようにシャッターを切っている。じょんがらー、じょんがらー、じょんがらー、と声高に叫んだあと、いよいよ踊りが始まる。腰を落としてかまえた瞬間、ギリヤークさんの周りは一瞬にして津軽の冬景色に変貌した。わたしのすぐ後ろにいた若い男が、連れの若い女に向かって、シャーマンのようだねと言うと、女は、あれは何かしら、エアーギターのようなものかしら、などと答えていた。
 演目の二つ目は「おはら節」。客のなかから3人連れだし一緒に踊った。
 最後は「念仏じょんがら」。くるくるくると踊り舞う姿はこの世のものとも思えない。ひゅーと客のなかへおどりこんだと思ったら、反対の側からバケツを持って現れ、アタマから水を被った。ひれ伏し、転がり、あお向けになって、かあちゃーん、まだ踊っているよー、と叫んだ。にっぽんいちー!! の声がとぶ。踊りが終って素にもどる。お礼を言うギリヤークさんの目がきらきらと輝いている。
 余韻にひたる客たちがなかなかその場を離れない。20代だろうか、若い女性が何か質問した。「はい」と答えるギリヤークさんの声と表情に息を呑む。小学校に入ったばかりの一年生が、はじめて担任の先生から名前を呼ばれて、よろこび驚いてでもいるような風情なのだ。来年きっとまたここで踊ります、とギリヤークさん。からだに気をつけてー。来年も来てくださいねー。万雷の拍手と歓声が交錯し、時のたつのを忘れた。

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馬糞?

 昼食を済ませて社に戻ったわたしにイトウが言った。
「よもやまに書いていたスカート、ば×ーんスカートっていうんですよ」
 咄嗟のことでピンと来ず、あ、よもやま、今日のよもやまね、ええ、ええ、スカートのこと書きました。バ×ーンスカート? あの形、ふっくらとしてほやほやな感じ、のようなことが瞬時にアタマをかけめぐり、わたしは、「なに? ばふんスカート?」
 いとう「ばふんじゃなくてバルーン。アドバルーンのバルーンです」と、呆れ顔。
 ああ。アドバルーンのバルーン。宙に浮くわけね。なるほど。的確なネーミング。でも、聞き間違いとはいえ、あの形状、馬糞ウニに似てないこともないような。だから、馬糞スカートってのは? だめか。

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