塩澤さんから元気をもらう

 出版ジャーナリスト・塩澤実信(しおざわ・みのぶ)さんにお目にかかる機会があり、手料理までご馳走になった。出版と出版人についての血の通った話が面白く、午後3時にうかがって、塩澤さんの事務所を出たのが7時半。
 きのうの午後、塩澤さんから電話があった。よくぞこれほどのものを出しましたね。出版界に身を置きながら、わたしは名前も知りませんでした、と。『新井奥邃著作集』のことだ。筑摩書房の創業者・古田晁について書いた名著『古田晁伝説』の著者からそのように言われ、くすぐったかったけれども、うれしかった。いただいた電話なのに、塩澤さんの温情にほだされ、次から次としゃべりまくった。ベストセラーは欲しいけれど、塩澤さんと話しながら感じていた熱を忘れてしまっては、この仕事にたずさわる資格はないなと改めて思った。

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古ビスケット?

 専務イシバシが編集長ナイトウと出かけた折のこと。出向いた先は古英語(むかしの時代の英語を、こえいごと呼ぶ)の先生の研究室で、書棚には貴重な古い文献がズラリと並んでいたそうだ。先生が1冊1冊、大事そうに抜き出し示してくれる本のページをめくるたび、紙がはらはらとくだけ、こぼれ落ちちそうな具合だったとか。
 打ち合わせが一段落し、先生は、ビスケットを出してくれ、自分でコーヒーを淹れに席を立った。と、イシバシが小声で、「…このビスケット、いま売っているビスケットよね」。古い資料に囲まれた研究室にいて、出されたビスケットまで古いのではと、いかにもイシバシらしい疑念が湧いたのだろう。ナイトウによれば、小声とはいうものの、それは先生の耳にも確実に届く声だったらしい。ナイトウすかさず、「50年前のものではないと思います」。物静かで温厚な先生は、にこっと微笑み、黙ってコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
 普通なら舌禍事件になるところ、たくまずの天然キャラで場を和ませ、笑いにしてしまうイシバシの技というか天才は、決して真似してできるものではない。

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第3の目

 このごろよく街でヘソを見る。若い女性のファッションらしく、帯脈のあたりを風にさらし、颯爽と歩いている。屈んだり反りかえったりする場合、否が応でも腹と腰が露出される。
 きのうの昼。わたしと専務イシバシ、武家屋敷の3人は、野毛坂に向かって歩いていた。向こうから、母と娘なのだろう、女性2人が歩いてきた。母は中肉中背、ふつうの身なり。娘は、母の2倍半の体格をしていた。
 足を運ぶたびジーパンが悲鳴を上げるようであった。豊満な胸に持ち上げられ、着ていたTシャツはヘソに届かず、太鼓にかけられた薄布のように、腹の周りで風にひらひらとなびいている。わたしは、縦に切れた、第3の目とも言うべき彼女のヘソに惹きつけられた。仏像が身にまとう布のひだひだのごとき波打つ腹の真ん中に陣取った目は、じっとわたしを見据えた。
 見た? 専務イシバシも、武家屋敷も、毒を抜かれたような表情で、こっくりとうなずいた。第3の目は通常、眉間のくぼみの辺りを差すが、腹にあってもおかしくない。第3の目に射抜かれたわたしは、彼女の顔をまったく見なかった。それほどの眼力であった。

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いろ

 このページの下に、挿絵的に写真を入れるようになって数ヶ月たった。社員がメールで送ってくれたものを使わせてもらうこともある。
 今は便利になって、ケータイ電話で写真も撮れるから、いいなぁと思えば、すぐにパチッ。
 何気なく撮ったものをその都度のせているだけなのだが、数が多くなってくると、やはり傾向は出るようだ。
 ある方から、写真の色が緑と青が多いと指摘された。言われてページをクリックすると、たしかに多い。緑は草の色であり、青は空と海の色か。海は、社員が送ってくれた写真にある。
 文章だって色があるかもしれない。赤やだいだい色、ライトグレー、薄いピンク、茶色、緑、青。今は、緑や青に惹かれて書いているのかな。

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山の気

 先日、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)1300年間の歴史の中で二人目という千日回峰行を満行された塩沼亮潤さんに会ってきた。
 千日回峰行は、1400メートルほどの高低差のある吉野の山、往復48キロを1日16時間かけて歩く(というか、走る)というもの。比叡山延暦寺でも行われるが、金峯山寺のものは、さらに厳しい。
 夜中の11時半に起き、まず滝に打たれ、それから歩き出す。目的の山の頂上に着くのが朝の8時半。折り返して山を下り、寺にもどってくるのが3時半。
 千日と言っても、霜が降りはじめる秋口から雪のある季節は山に入れなくなる。1年に4か月しかできない。9年間で満行。
 塩沼さんに尋ねたところ、行を始めてしばらくすると、最初は恐ろしい幻が現れ、次に観音様のような美しい幻が現れた。最後の二年ほどは一切の幻が現れなくなった…。塩沼さん曰く、「一度も行きたくないと思ったことはありません」「今ふりかえって、あの時もう少しこうしていれば良かったという思いはありません」。台風がくる時には、その一週間ほど前から山の匂いが変わるらしい。「今、その感覚は眠っているけれど、山に入ればもどってきます」
 満行の後、金峯山寺のご住職に言われた言葉は、「行のことは捨てなさい」だった。
 今、塩沼さんは仙台秋保(あきゅう)にある慈眼寺の住職をしておられる。仙台駅からバスで秋保までは約1時間半。学生の頃、陸上部に所属していたわたしは、その道を走ったことがある。
 秋保の山々の気、塩沼さんの溢れんばかりの、いい気をいただいて帰ってきた。継続の力をまざまざと思い知らされた。

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真面目

 このごろ外を歩いていると、若い女性のファッションが目を楽しませてくれる。とくに、横浜駅西口ビブレの辺りを闊歩する彼女たちのは凄い。顔を見なければ、タレントが身につけているものとほとんど変わりない。顔だって、テレビに出ている娘たちに負けないだろうと思われるひとがあっちにも、こっちにも。境界がなくなってきたのかな。
 先日、ひょんなことから、仙台在住だという80代の男性と知り合いになった。彼の話では、わたしの母校でも、このごろは女子学生のファッションには目を見張るものがあるという。彼は、街行く派手な服装の女性たちを指差し、こんなのもいるし、あんなのもいる、もっと派手なのもいる、と、まるで動物園の珍しい動物を見るように言った。にわかには信じがたい話だった。むかしはトンペイと呼ばれ(今もかもしれないが)、ファッションセンスがないことで有名だった。トンペイの学生は、とにかく地味で真面目だった。
 彼の話を聞き、この目で後輩たちのファッションを確かめたいと思った。地味で真面目なトンペイの学生が、時代の流行に乗り遅れまいと、今度は真面目にファッションセンスを磨いているのだろうか。

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間違い電話

 午後5時頃だったか、ケータイが鳴った。パソコンに向かいパンフレットを作っている時だった。メールなら分かるが、電話は珍しい。
「はい」
「もしもし。あれ!? あのー、どちらさまですか」
「このやろう。電話してきて、どちらさまはねーだろ。みうらだよ」
「あ。せんせー?」
「ん? だれ?」
「Kです。ごめんなさい。まちがえちゃった。友達にかけようとして…。ごめんなさい。仕事中でしょ」
「いいよ。だいじょうぶ。久しぶりだね…。**には行っているの? 改装工事をするらしいよ」
 すぐに電話を切るのは、なんとなくためらわれた。
「最近、行ってない。いつも見てるよ」
 見てる、というのは、この日記のことか。
「元気そうだね」
「元気になったんだ」
「よかったね。**のママが最近来ないの、って言ってた。今度、一緒に食事でも、ね」
「そうだね…。ところで、下の名前、なんだっけ?」
「え。わたしの? 忘れたの? やだなー、もう。○に美しいで○美よ」
「○? 絹とか麻とかの○か? そうか。そうだったな。じゃあ、今度食事でも」
「忘れないでね」
 名前のことか。食事の約束のことか。
 Kさんは、わたしが陸上部の顧問をしていた頃のマネージャー。その後、行き付けのスナックで偶然出会い、意気投合。あれから3年。Kさんは歌がめっぽう上手い。

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