ぐじゅぐじゅと梅雨呑みこんで破れ靴
「パパ、映画どうだった?」
「うーん、すごく面白かったわけじゃないけど、退屈はしなかったよ」
「ふーん。パパの答えはいつも普通」
「りなは厳しいね」
「だって、りな、女だもん」
あんまりウケたので、りなちゃんのママにことわって、載せさせていただきました。こんなこと言われたら、パパもかたなしでしょう。りなちゃんは小学1年生。
ぼうふらが眼を閉づ甕の水静か
先日、出版の打ち合わせのために来社されたMさんは、日本で出版された『ガリバー旅行記』を、古いものから新しいものまで約400冊持っているそうです。高いものは1冊50万円もしたそうで、その値段は、原書の初版にも匹敵するとか。すごいですねぇ。
Mさんはまた蔵書票の趣味がおありで、ガリバーをモチーフにした蔵書票をたくさんお持ちです。
蔵書票というのは、本の表紙や見返しなどに貼り付けて、その所蔵者を示すための小さなカードみたいなものですが、これにはこれの独自の世界があり、もともと書物に貼るという蔵書票ですが、今は小版画作品としてコレクションの対象となっているらしく、<紙の宝石>とも呼ばれているそうです。
ご持参いただいた蔵書票を拝見しながら、これからのブックデザインは蔵書票化する、いや、蔵書票化しなければいけないということを感じました。
蔵書票というのは、本を愛する人が、画家や版画家に特別に頼んで自分だけのオリジナルのものを作ってもらいます。蔵書票の作者は、依頼主の意を汲んで、中身に相応しい、いやもっと、中身を端的に「かたち」にします。そこで腕が試されます。依頼主と作者の関係もあります。そうして出来てくる蔵書票ですが、作者によって、独特の世界が展開されます。同じガリバーでも、まったくちがったガリバーになります。
わたしは、創業以来、ブックデザインは一つの演出だと思ってきました。中身に相応しい、中身を際立たせるための、しかし第1はやはり中身、と思ってきました。
しかし、先日、ガリバーの素晴らしい<紙の宝石>たちを目にし、少し考えが変わりつつあります。それはどういうことかというと、誤解を恐れずに言えば、本の中身と関係なく、はマズイですが、本の中身を踏まえつつ、なおかつ、中身を超えていいのではということです。
中身を一つの「かたち」にしてしまう。中身をぐっとしぼって抽出したもの、でなく、中身をもっと広い世界に解き放つ…。同じ「かたち」でも、「形」でなく「容」。新しいぶどう酒は新しい革袋に、です。読みの深さがますます問われます。
まだ考えが煮えきらず、生煮えですが、社員や多聞くんとも話し合いながら、さらに新しい本の「かたち」を探っていきたいと思います。
蓋の下甕のぼうふら月見えず
一昨年、『対話が世界を変える 聖エジディオ共同体』を刊行しましたが、その聖エジディオ共同体が創立40年をむかえ、昨日イタリア文化会館にてパーティが催されました。
ドキュメンタリー映画が上映され、本も売れ、料理も美味しく、充実したパーティでした。
政治の時代であればあるほど、対話の重要性を見なおす必要があります。ただいま『日中教育学対話』を編集中。
肩書きは剥がれ日照りに齢(よわい)立つ
ぼうふらが涙浮べし日照りかな
朝晩の気功で、背骨をゆらゆら、体をくねくねさせていると、体が薄〜くなって、透けて(見えませんが)見えるような気がします。
本を売り、CDを売って、部屋の風通しがよくなりましたが、体の風通しもこころなしかよくなったような…。
40分の築基功を終え目を開くと、手のひらがサラミソーセージを輪切りにしたときのような状態。血行もよくなったのでしょう。
A rolling stone gathers no moss. ということわざを学校で習いました。
梅雨晴れ間隣りの陰茎目撃す
ヘレンはヘレン・ケラー。獣のようなヘレンを「調教」したのはサリバン先生ですが、ヘレンはサリバン先生の「調教」そのものの行為のなかに潜むものをきちんと感じとっています。
キルディーンも、手をつけられないほどわがままでやんちゃで、いたずらっ子で、王様もかんむりもあったもんじゃねーっ(ここんところが痛快!!)て感じですが、でも、ゼロではないんですね。鷲たちとのくらしのなかで、鷲たちに教えられるというよりは、大事なことに自分で気づいていきます。
キルディーンもヘレン・ケラーも教育の根本を指し示していると思います。
人込みを歩いてばかり梅雨晴れ間
本やCDを一度売りに出したら、勢いづいたのか、休日になるたびに、これも出そう、これも、と、つい時間が過ぎてしまいます。
本棚やCDラックを眺めているようですが、そうとばかりも言えません。記憶の糸をたどり、これはどんな内容だった、これはこんな旋律だった、あの時の感じ方は、今のわたしにとって意味があるだろうか、今読んだり聴いたりしたら、回想のほかに新しい意味を見出せるだろうか、と、自分と対話しているようで、けっこう楽しい時間です。
本やCDを片付け、部屋の風通しがよくなると、気持ちまで軽くなるような気がします。
黄金色サクッと割れしメロンかな
先日、ラヤ・サクラヤさんで、天才りなちゃんに会いました。いつものように涼しい眼をしています。りなちゃんは、天才らしく、ことばよりも、眼でお話をします。
りなちゃんと気をあつめる遊びをしました。お互いに向き合い、えんやーどっとに似た動きで、両手を近づけ気を集めるのです。りなちゃんもわたしも真剣そのもの。
そろそろ、あつまったかな?
まだじゃない…、と、りなちゃん。
タコのように、クラゲのように、ふにゃふにゃくねくねゆらゆらふわふわ…。
いいかな? いいかもね。二人しゃがんで、わたしは財布から1円玉を取り出し、右手を返して手首にのせ、ゆっくり気を充填させます。すると、どうでしょう。ピョン! りなちゃんとわたしは顔を見合わせ大笑い。二人の遊びはずっとつづくようでした。