蝉の声

 

・ひとときが十年(ととせ)を刻む蝉の声

わたしが初めて蝉の声を聴いたのは、
昭和三十三年の夏、
のはず。
なぜならば、
三十二年十一月生まれなので。
十一月も射手座ですから、
生まれたときは、
遅い蝉もさすがに鳴いていなかったでしょう。
翌年の夏に
ミーンミーン、ジージー、ツクツクホーシツクツクホーシ
と鳴く蝉の声を聴いたはず。
まだ満一歳になっていませんから、
記憶にはもちろんありません。
が、
このごろ、
読書に飽きて、
ひょいと顔を上げ
蝉の声に耳を澄ませていると、
無いはずの記憶が呼び覚まされるような
そんな気もします。
するし、
さかのぼって三十二年の夏は、
母のお腹にいましたから、
お腹の中で、
ミーンミーン、ジージー、ツクツクホーシツクツクホーシ
を聴いていた可能性はあります。
映画『きっと、うまくいく』で、
工科大学学長の長女のお腹が大きくなっているとき、
主人公ランチョーが、
映画のキーワード「オール・イズ・ウェル」を口にすると、
お腹の中の子どもが反応し、
母のお腹を中から蹴るシーンがあって、
映画の重要な伏線になっていましたが、
あのシーンを観たとき、
わたしにとっては蝉の声が
そのたぐいかもしれないとも思いました。
理由はありません。
ただなんとなく。
今日も朝から蝉が鳴いています。

・蝉しぐれ目覚めて泣いたこともあり  野衾

カニ汁

 

・炎天を避けて地下街もぐりけり

毎週木曜日は気功教室。
きのうがその日。
始まる前に、
よく行く回転鮨屋で幾皿か重ね、
それから教室へ向かうのがならい。
汁は三種類ありますが、
カニが好きなわたしは、
ほぼ百パーセントにちかくカニ汁を所望します。
きのうもそうしました。
しばらくして、
若い女子の店員が
カニ汁をお盆に載せこちらにやってきたので、
ああ、わたしのだな
と思って待ち受けていたら、
途中で立ち止まり、
年のいった店員となにやら話し込んで、
カニ汁を二人で覗き込んでいます。
ん!?
なにか変なものでも浮いているのか?
色が悪いとか?
カニが新鮮でないのだろうか?
ほんの数秒だったと思いますが、
想像をふくらますには充分。
間もなく、
カニ汁が運ばれてきました。
なになに、どれ。
見てすぐに納得しました。
汁の量が極端に少ない!
おそらく
若い女子はそれを気にして
年配の店員に声をかけたのでしょう。
年のいった店員は、
「だいじょうぶじゃないの」
とかなんとか言ったのではなかったでしょうか。
わたしは一瞬、
意地悪い気持ちがもたげそうになりましたが、
行動に移すことは止めにして、
お椀に口をつけました。
とっても美味しく、
カニの身も白く新鮮でした。
目の前に重ねられた皿の枚数がいつもに比べ、
二枚ほど少なかったのは、
カニ汁のせいではなく、
このごろ積極的に
少なく食べることを心がけていたからでしょう。

・駆け上り間一髪乗車せり  野衾

夢で逢いましょう

 

・モスラ蛾が路に腹ばひ蟻が食ふ

何年も、またそれ以上逢っていない人が、
ふっと夢に現れることがあります。
夢の主人公であるわたしと
ごく普通に会話したり。
指先が触れたり。
かつてわたしがとらえた
彼、彼女のままにふるまいます。
理想の統一体。
想定外のふるまいに及ぶことはまずない。
人ではありませんが、
名刺入れもよく夢に登場します。
鞄から名刺入れを出して、
手で持つとそれなりにふっくらしていて、
ああ大丈夫と思うのですが、
いざ取り出してみると、
ひとからもらった名刺ばかりで、
探しても探しても自分のが出てきません。
一枚だけあった!
と思ったら、
それが汚れていたり。
そんなことをかつて現実に体験し
相当汗った(!)ことでもあったかな。
憶えていません。

・夏休み絵日記化けて迫りけり  野衾

冠講座終了

 

・持ちたきはクワガタよりもカブトムシ

十文字学園女子大学でわたしが受け持つ
冠(かんむり)講座が終了しました。
最終日のきのうは、
カメラマンの橋本さん、
画家・装丁家の矢萩多聞さんに加わっていただき、
学生からの質問にも答える形で、
働くことについて
トークセッションを行いました。
四〇一教室を訪れるのは、
多聞さんは二度目、
橋本さんは七度目、
わたしは毎度。
学生たちも
ゲストの変ったおじさんたち(?!)に
ようやく慣れたのか、
終始なごやかな雰囲気で
たのしく
これまでの講義を振り返りました。
パン屋のおじさんを見て、
パン屋になりたいと思ったとしたら、
なれないときに挫折するけど、
パン屋のおじさんみたいになりたい
ということであれば、
パン屋のおじさんのエッセンスは、
たとえば花屋でもタクシーの運転手でも
共通にあるはずで、そのことのほうが大事だし、
自分を苦しめずにすむのではと多聞さん。
光りばかりを求めずに、
闇の中をこらえて進むことも大事だと橋本さん。
いい意味の緊張が支配する教室の風景を、
ひょっと意識が我が身を離れ、
上から教室を眺めているような瞬間がありました。
あ、これって、ジョバンニたちの教室!?
話と関係なく、
いや、深く関係して、
おもしろい! と感じた最終回でした。

・虫籠を破り逃れて甲虫  野衾

特性のない男

 

・年めぐり父がバチ持つ盆踊り

朝の読書は、
泉鏡花にひと区切りをつけ、
しばし日本を離れて、
まだ見ぬオーストリアに飛ぶことにします。
アームチェアはまさに魔法の絨毯!
どこへだって思いのまま。
ロベルト・ムージル
(ローベルト・ムジールと表記することも)
の『特性のない男』(新潮社 全六巻)を、
初めて読んだのは
教師を辞めてすぐのころでしたから、
今から二十五年ほど前。
長田弘さんの『読書百遍』で紹介されており、
長田さんは詩人ですが、
本の紹介がべらぼうにうまく、
長田さんが紹介している本は
どれも読みたくなりますから、
おカネのないときでもありましたので、
わたしにしてはめずらしく
図書館を利用し、
叩くと白壁が剥がれるボロアパートの一室で
読んだのが最初でした。
さて今回。
まだ始まったばかりですが、
これほどことばを尽くして書いているのに、
ムージルさん、
性に関しては非常に抑制を利かしている。
書いてないということは、
時に、
書かれている以上にわくわくし、
ドキドキします。
永井荷風の『腕くらべ』しかり。
これからしばらくは、
二十世紀前半オーストリアを旅することになります。

・しゅるしゅるとクチナワ空に花火かな  野衾

四度目

 

・朝早き吾より早き蝉の声

インド映画『きっと、うまくいく』を観に
今度は渋谷へ。
横浜市中区若葉町の
ジャック&ベティから始まった今回のツアー(?)、
川崎チネチッタを経て、
きのうは、
若者の街・渋谷のヒューマントラストシネマでした。
すっかり映画放浪人。
『釈譜詳節』の訳者の河瀬先生、
カメラマンの橋本さんもいっしょ。
河瀬先生は初めて、
橋本さんは三度目の鑑賞になります。
気が置けないお二人と
好きな映画を観たあとのビールがまた格別。
さて四度目ともなると、
いかに忘れっぽいわたしでも、
ストーリー、伏線ともにすっかり覚えており、
それでも観に行きたくなるのはなぜなのか
をみずからに問うてみたところ、
映画を観て
笑ったり泣いたりし、
ああ、面白かった!
という気分にいっときでも浸りたい、
そのことに尽きるような気がしてきました。
気分のマッサージ、
精神のリラックス、
感情のサーフィン、
満足して映画館を出ると、
街と人を
ちょっぴりやさしく見れるような気がします。
やっぱり、
ああ、面白かった!

・祖父祖母とこころ通はす盆近し  野衾

二度目のケセランパサラン

 

・このごろはスジ筋肉に五十肩

見るときは見るようです。
二度目は、
横浜駅横須賀線のホームにて。
大好きな映画『きっと、うまくいく』を観に
川崎へ向かう途上のこと。
横浜駅で
東海道線に乗り換えるべく
ホームに降り立ち、
番線を換えるのに階段へ向かうや、
ホーム右手にふわふわ浮いているではありませんか。
あ、
ケセランパサラン!
わたしはあわてて駆け寄り右手でつかもうとした。
ら、
逃げられた。
さらに近寄り今度こそ。
また逃げられた。
くっそー。
瞬間、
プワ~ン!!
横須賀線下り電車が入って來、
鋭く警笛を鳴らされた。
ケセランパサランどこへやら。
危なく!
ケセランパサランどころじゃなかった。
命びろい。
胸をなでおろす。
振り向けば、
家人涙眼になっておりました。

・クチナワの夢は吉兆鏡花かな  野衾