思いつづける

 

・うたげ終え務め果しし桜かな

『石巻かほく』紙連載の
「橋本照嵩の紙上写真展」に併載する文章の仕事を賜り、
たのしく苦しく勉強している。
強いて勉める勉強は
やはり苦しく、
苦しさを通じて
体得するところあってのたのしさであることは、
子ども時分から同じであるなぁと。
一枚か二枚の写真に添え、
三〇〇~四〇〇字の文を書く。
写真集『石巻』は、
会社と自宅に置いてあるから、
見ようと思えばいつでも見られる。
しかし、
評価はともかく、
写真と対峙する文章を書きたいと願って視るとなると、
ただごとでは済まされない。
わたしは写真家ではないし、
石巻の人でもない。
いわばよそ者だ。
よそ者に徹して、
それでも一枚か二枚の写真を凝視し、
凝視し、
なおも凝視し、
(橋本さんの写真が凝視を誘い凝視に堪えるは言うに及ばず)
それでもなんも出んこともあり、
一週間、
脳裏や瞼や胸に記憶された写真を思い、
思いつづけ、
歩くときも、
電車に乗っているときも、
食事をしているときも、
歯を磨きながらでも、
とにかくなりふり構わず思い、思いつづける。
この思いつづけることが、
いわばわたしの愛情です。

・一夜雨まぶたに浮かぶ桜あり  野衾

半世紀

 

・樹を離れ子らの掌に落つ桜かな

田中優子さんも通ったという、
横浜市立本町小学校は、
きのうが入学式のようでした。
若いお母さんやお父さんに連れられ、
きれいな紺の制服を着た子どもたちが歩いています。
半世紀前、
わたしもそうして田舎の小学校に入学しました。
母は二十九歳。
若!
手元に写真がなく
心もとないのですが、
たしか母は和服を着ていたような。
親と子と担任の伊藤陽子先生が
いっしょに写った全体写真は、
秋田の実家のどこかにまだあるでしょう。
あれから五十年、
寅さんじゃないけれど、
後悔と反省の日々でもあるなぁ。
旅に出て旅の途中の春の風か。
*
『鎌倉三猫物語』の著者ソーントン不破直子さんの
インタビュー記事が
神奈川新聞に掲載されました。
コチラです。

・子らよりも母華やぎて入学す  野衾

葛飾柴又

 

・柴又や寅さん像の寂しかり

寅さん好きとしていつか訪ねたいと思っていた
葛飾柴又へ行ってまいりました。
柴又駅に降り立つと、
緑のベストを身にまとった初老の男性が寄ってきて、
「もし、よろしければガイドしますが…」
聞けば、
ボランティアで、
寅さんゆかりの場所を案内してくださるという。
願ったり叶ったり。
花曇り、
ときどきぱらぱら雨も落ちる
肌寒い天気が
むしろ幸いして、
人の出足が鈍く、
おかげさまで、
その分ゆっくり散策できました。
矢切の渡しはさすがに寒く、
舟には乗りませんでしたが、
土手に立てば、
はるか向こうから
格子縞の背広を羽織った寅さんが、
肩を揺らしてこちらへ歩いてくる姿が想像されます。
また、
帝釈天で産湯を使いのあの帝釈天、
その帝釈堂内陣の外側には、
法華経から選んだ説話をモチーフに、
十枚の胴羽目彫刻が施されており、
ただいま『法華経諺解』の編集に当たっている
わたしとしては、
これも一つのご縁であるかと、
感慨を深くした次第。
春風社のロゴを作ってくれた畏友長野亮之介の
「雨ニモ負ケズ」鼻曲がり鮭Tシャツが
境内で売られていたのにもビックリ!
店の人にも、
ガイドさんにも、
「これ描いたの、ぼくの友人です」と自慢。
長野さんにもしばらく会ってないなあ。

・花ちるや帝釈天の鐘をきく  野衾

土入れ

 

・吹き飛べとガリリとガヂる島らっきょう

朝に電話すると、
いつもなら母がでるところ
父がでて、
今日はダシに土を入れる日で、
正紀やトッコやトッコのだんなも来ることになっているという。
昨日のことだ。
父の声は、
どことなく弾んで、
水飴のような方言臭は微塵も感じられず。
むしろどっぷりと隙なく厚みがあり。
方言はまた、
活着のいいことばなのだ。
んだてが。
んだよ。
標準語共通語と驕るなよ。
百姓の魂に火が着き、
いよいよエンジンが発動する。
*
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の八回目が掲載されました。
コチラです。

・花吹雪子ら校庭に球を追ふ  野衾

詩のレッスン

 

・病院へ行く途よこの花ぐもり

そういうタイトルの本で、
副題は「現代詩一〇〇人・21世紀への言葉の冒険」
入沢康夫、三木卓、井坂洋子、平出隆、
四人の編者が順に好きな(?)
詩を選び解説を加えている。
一九九二年新年からほぼ二年間
『週刊ポスト』誌に連載されたものを
一冊にまとめてあり、
読みやすく、分かりやすく、
勉強になります。
取り上げられた詩が
必ずしも分かりやすい訳ではありませんが。
巻末には、
詩人一〇〇人の写真つき略歴まで収録されており、
これまた便利。
詩とあわせると、
へ~、
この顔の人がこの詩かと
感慨も一入。
敬愛する佐々木幹郎さんは、
清清しくさっぱりしていてカッコいい!
面白いのは、
解説が見開き二ページで先にあり、
ページをひらくと詩が出てくるという順番。
ふつう逆ではと思うのですが、
レッスンなのでこの順か。
「語りえないもの」の造形という題で
入沢康夫は、
安東次男の「樹木開化」という詩も取り上げています。
副題は「髪をえがけ!――桂川寛に」
ん!
桂川寛に…。
装丁家・桂川潤さんのご父君だ。
「樹木開化」が入っている安東の詩集『蘭』の表紙、挿絵は、
桂川寛さんの作品です。

・花ぐもり花の下なる人静か  野衾

カップル

 

・切なりし恋も怒りも四月馬鹿

おととい五七年生まれを含む知人たちと飲んだせいか、
きのうは仕事帰り相当疲れておりました。
同じ五七年生まれでも、
彼は昭和五七年生まれだし、
わたしは一九五七生まれ、
四半世紀の時間の差は大きい。
横浜駅での乗り換えの際、
エスカレーターを降り、
複雑に流れる人ごみをかいくぐりかいくぐり
前方目指して進んでいたら、
前を恋人同士でもあるのか、
若いカップルが歩いていました。
後ろから見ただけですが、
身に着けているものから判断し、そうだったでしょう。
ぴったり身を寄り添わせ歩いていた。
右が男性、左が女性。
サファリルックの男性は、
左腕を彼女の腰に当てているのですが、
彼女の腰を包むようではない。
なぜならば、
彼女の後姿というものは、
フナッシーそっくりだから。
胴回りは優に一メートルは超えている。
色は違えど体の輪郭たるやまさにフナッシー!
サファリルックがフナッシー似の彼女の耳元でなにやら囁いたらしい。
さらに、
フナッシーの腰に当てていた左腕をほどき、
左肘でフナッシーのわき腹辺りを
クイッとやった。
フナッシーびくともせず。
と、
今度はフナッシーが右肘でクイッとやった。
ら、
サファリルック、吹っ飛んだ。
吹っ飛んだ、は大げさか。
飛んだ。
その光景を目の当たりにし、
わたしの疲れはこれは吹っ飛んだ。

・骸骨や夢まぼろしの四月馬鹿  野衾

花見

 

・花を見に知らねば読めぬ掃部山

「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。
思い起こせば二十年前、つまらねぇことでおやじと大喧嘩。
頭を血の出るほどぶん殴られて、そのままプイッと家(うち)をおん出て
もう一生帰らねぇ覚悟でおりましたものの、
花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷のこと……。
…………………………………………
今こうして江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、
何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気がいたします。
そうです。わたくしの故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又でございます」
ちゃ~、ちゃららららららら~
ちゃらら~らら~ららららら~
というわけで、
花の咲く頃になりますと、
わたしが決まって思い出すのは『男はつらいよ』
であります。
山田洋次監督は、
この一作に賭けたらしく、
好評につきシリーズ四十八作までいくとは、
よもや思わなかったようで。
満開の桜が一転、
はらはらと花びらが舞い散る姿に、
さまざまの思いを重ねてしまうのは、
寅さんに限らぬことで、
むしろ寅さんは、
皆のこころを代弁してくれているのでしょう。
*
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の七回目が掲載されました。
コチラです。

・水溜まりブルーシートに桜かな  野衾