経験の結晶

 

・鶯や保土ヶ谷宿の夢見たり

きのうにひきつづき、
インタビューをまとめるについて。
小野寺先生のお話のなかに、
「勘」のことがでてきます。
勘が鋭いとか、
勘がはたらくの、あの勘。
先生は、
カトリックの信仰と
西田幾多郎の哲学の結節点を求めることを
生涯のテーマとしてこられましたが、
そのような難しげな学問と
勘というのは、
いかにも結びつかないようにも思えますが、
先生がおっしゃるには、
ご自身にとって
大事な問題をつかまえるのは、
これすべて勘なのだと。
勘は経験の結晶であるとも。
経験は決して相対的なものではなく、
経験には経験の論理があって…。
ははあと、
ゲラを食みながら納得。
西田いうところの純粋経験、
「内在的超越のキリスト」への関心等々、
ふるさと岩手の風土から醸された思想であると感じます。
*
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十回目が掲載されました。
コチラです。

・鶯や街道沿いの松を見ゆ  野衾

インタビューをまとめる

 

・鶯や千年の渓深くなり

小野寺功先生の『西田哲学から聖霊神学へ』に、
過日行ったインタビュー記事をまとめ
巻末に収録する予定になっており、
ただいま鋭意すすめているところですが、
仕事なのに、
こんなに面白くていいのかと。
インタビュー当日、
先生は風邪気味だったかして少し沈みがちでしたが、
お話くださっているうちに、
のそりのそりと山を歩いていた熊が、
ばばばばあああっと、
両手を広げ
体をひらいて立ち上がったかのごとく、
はつらつお顔も赤くなり。
三時間半に及んだインタビューは、
テープ起こしをしたら、
A4サイズで四十五枚。
これを桑の葉を食むようにガシガシ推し進め。
インタビューをまとめるのは創作に近く、
テープ起こししたものは、
あくまで参考。
目の前の原稿をにらみ食みつつ、
飲み込んだ栄養素から糸を吐き出すように
新たに文を書いていく。
これまさに蚕。
たいへんだけど面白い。
出来はいったんおいといて、
こころざしとしては、
インタビューを超え創作することで
インタビューの面白さは、
再現でなく創り出されると思っています。

・鶯やお前どこかとホーホケキョ  野衾

肩に風邪

 

・田仕事を告げて野太き父の声

高熱がで、
インフルエンザかと思いきや、
どうやらそうでもなかったらしく、
熱が引き、
痰が切れ、
鼻水も治まりましたが、
肩から首筋にかけての凝りがしぶとく
まだ残っています。
ぜってーはなれねどー!!
なんて、
洟垂らしの悪ガキが
両肩にしがみついているような気配。
後ろを振り返り、
こっちがおめーにしがみついでやっがらなー。
こんぢぐしょう!

・秋田より宅配便の米とどく  野衾

周回遅れ

 

・ウグイスやウグイスのこゑ上手なり

歴史変動のきっかけがだれにも気づかれずに蒔かれ、
後になって歴史家がそれと指摘する、
みたいなことが
個人にもあるようで。
このごろ詩を読んだり書いたりするのが面白く、
さてこの変化はどうしたものか
と思いますが、
杉山平一の『現代詩入門』を古書で求め読んでいたところ、
あれあれこの本は、
わたしがかつて
有隣堂横浜ルミネ店で買ったもの!
当時面白く読んだことも、
それから古本屋に売ったことも
すっかり忘れておりました。
高校教師をしていたころか、
教師を辞めて
東京の出版社勤務を始めたころだったかと…。
詩への興味が本人も気づかず、
チョビリチョンビリ
湧いていたのかもしれません。
今回、
その流れで、
上下二巻の浩瀚な『杉山平一全詩集』を読んでいましたら、
「あとがき」に面白いことが書かれていて、
たいへん興味を持ちました。
「上巻を出したとき、記念会で私の詩作品が戦後詩とくに現代詩といわれているものと違っているので「第一線を走っていると思っていたのに、あるとき、ふと、自分は一周遅れだったことに気づかされ、肩を並べているが実はいまは二周も三周もおくれているらしい。だからゴールはまださきであると思う」などといった。
けれども、下巻を編み「ミラボー橋」などを読んでいると、伊藤静雄さんが、杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた通り、自分は一周二周おくれではなく皆と別の場所を走っているような気がしてきた。」
あはははは…
杉山さんのこのとぼけた感じがたまらなく。
さてわたし自身はというと、
周回遅れなら
皆さんと同じ向きで走っているからいいようなものの、
ひょっとして、
反対方向に走っているのに、
好い気になってすれ違うひとに
「よっ!」なんて、
寅さんみたいに声をかけていないとも限らない。
おそらくそんなところでしょう。
杉山さんは、
二〇一二年五月一九日に亡くなられました。
享年九十七。

・さくら散り陽光樹々を照らしけり  野衾

黄緑

 

・ウグイスや晴れて人閒選挙也

風邪も治り、
体調が戻ってきましたので、
この世の選挙に出向いてまいりました。
桜はほぼ散って、
青葉若葉に陽があたり、
向こうのお山がかすんで見え。
こうなると、
ただ歩いているだけでワクワクしてきます。
錆色のシャッターにも
ひかりがあたってキラキラし。
シャッター街もそんなに悪くないじゃない。
軒下の黄色い花が目に鮮やか。
季節がそうなのか、
風邪が治って
ひと皮むけたとでもいうのか、
とにかく、
どうもどうも。
皮肉めかして物言う人にも
どもどもどうも。
ありがとう♪
だんだんバカになっていくような。

・花散るや花嫁去りし農家にも  野衾

老いのイニシエーション

 

・春暁や烏の声も懐かしき

恩師竹内敏晴の書に『老いのイニシエーション』がある。
六十歳、
いわゆる還暦のあたりをピークとして、
生体としてのエネルギー放出の仕方が変わる
ことに触れているが、
昨晩、
三十九度近い熱に喘ぎながら、
そのことをつらつら思い出していた。
土方巽は五十七歳で、
野口晴哉は六十四歳で亡くなっており、
心身のエネルギーを一気に爆発させるような生き方に
自戒の念をこめ、
警告を発していたのではなかったか。
手もとに今、
本がないので、
正確ではないと思うが、
竹内さんも、
六十歳前後に、
坂道に駐車していたクルマのブレーキが外れ、
動き出した無人のクルマに
撥ねられたことがたしかあったはず。
仕事でも、
人との付き合いでも、
もう若くないことを
もっと自覚する必要がありそうだ。

・春暁の音蒼穹にひびきをり  野衾

不思議のご縁

 

・雨しきり桜絨毯招きをり

十文字学園女子大学の横須賀薫学長から
『学園創設の理念をめぐる一考察』という冊子が送られてきた。
同大学人間生活学部紀要第12巻別刷とある。
一年ほど前になろうか、
あるいは一年半ほど前のこと、
新企画『おうすいポケット 新井奥邃語録抄』の準備のために
『新井奥邃著作集』を読み返していて、
ある重大なことに気がつき、
それを横須賀学長にお伝えした。
学長はそのことを了とせられ、
興味を持ってくださり、
論考をいずれ何らかの形で
発表しようとの意向を示された。
それが形を成し、
今回の『一考察』となった。
論考の中に、
「謙和舎と大和会(たいかかい)の関係者の間には『奥邃語録』など印刷物が保管され、伝えられてきたが、それらが近時新井奥邃先生記念会の手によって系統立てられ、その成果が林竹二の影響を受け、かつ出版業に就いた三浦衛の手によって『新井奥邃著作集』全9巻、別巻1となって世に出されることになる」
とある。
わたしと林竹二の関係について触れている学長ご本人は、
1969年に宮城教育大学の教員として林竹二に会っている。
林は、田中正造研究の途次で新井奥邃を発見し、
新井奥邃研究を一書にまとめることを祈念したが叶わなかった。
横須賀先生はただ今、
十文字学園女子大学の学長をしておられるが、
学園の創立者である十文字ことの夫・十文字大元は
大和会の初期の会員であった。
ということは、
十文字大元をとおして、
新井奥邃の精神の息吹きが学園に流れ込んでいる可能性は高い。
十文字学園は二〇二二年に創立百周年を迎える。
創立の年の六月に奥邃が亡くなった。
林竹二を機縁とし、
新井奥邃と出会い、
それが今回のように
見えない糸でつながっていたことを目の当たりにすると、
ご縁の不思議、
人生の妙に打たれずにはいられない。
*
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の九回目が掲載されました。
コチラです。

・樹のピンク薄れ薄れて日を迎ふ  野衾