『ギリシア文化史』の魅力

 

われわれの理解している本講義の任務は、
ギリシア人の考え方と物の見方の歴史を示すことにあり、
そしてまた、
ギリシア人の生活の中に働いていた活気溢れる諸力、
すなわち、
建設的な力と破壊的な力についての認識を得ようとすることにある。
叙事的にではなく、歴史的に、
それもまず第一に、
彼らの歴史が普遍史の一部分をなしているという意味合いにおいて、
われわれはギリシア人たちの本質的特質を考察せねばならない。
というのも、
これらの特質こそ、
彼らが古代オリエントや、それ以後のもろもろの国民と異なっている点であり、
しかもこの両者への大きな通路を形成している点であるからだ。
全研究はこのために、
つまり
ギリシア精神の歴史のために準備が整えられていなければならない。
個別的なもの、特にいわゆる事件は、
ここでは一般的な事柄についての証人尋問においてのみ発言が許されるのであり、
それ自身のために発言することは許されない。
なぜなら、
われわれの求めている事実的なものは、考え方なのであり、
これもまた事実であるからだ。
しかし資料は、
われわれが上に述べたことに基づいて
この考え方というものについて考察する場合には、
考古学的知識材料を隈なく求める単なる研究とはまったく異なったことを
語ってくれるであろう。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第一巻』
筑摩書房、1991年、p.7)

 

ようやく本丸にたどり着いた気持ちです。
ことしはこれを読むぞと決めていたのに、
わるい癖がでてしまい、
試験勉強をしなければいけないときに限って、ほかの本を読みたくなる
のたぐいにも似て、
本丸を仰ぎ見つつ、
寄り道寄り道の連続、
とうとう連休も終わるかというタイミングで
やっと開くことになりました。
全五巻ですから、これからしばらくかかるでしょう。
また寄り道をしないとも限りません。
さてこの『ギリシア文化史』
ですが、
スイスのバーゼル大学において、
ブルクハルトが1872年の夏学期から行なった講義の
講義録が元になっています。
これが通常の叙事的な歴史書とちがうことは、
上に引用した箇所にはっきり出ています。
「考え方も事実」だというところに強く惹かれます。
専門家のためだけの研究でなく、
ひろく一般の人のための学問を標榜していたブルクハルトの面目躍如か、
と思います。

 

・草餅を買うて一段とばしかな  野衾

 

五木さんの「稲」

 

きのう届いた『秋田魁新報』を読んでいましたら、
五木寛之さんのコラム「新・地図のない旅」
に、
おもしろいことが書いてありました。
五木さんは今年九月で九十歳を迎えますが、
これまでずっと、
早稲田の「稲」の字の右下にある「旧」を「田」だと思ってきたと。
稲は田んぼに生えるから、
「田」だろうと、
なんとなく思ってきたのだとか。
手書きの原稿の「稲」の「旧」はすべて「田」と書いていたはずだから、
そのつど、
担当の編集者が、
五木さんに告げずに、
そっと直してくれていたのだろう、
とありました。
ちなみに五木さんの最終学歴は、
早稲田大学露文科中退。
大学時代のエッセイも少なくありませんから、
かなりの数の間違った「稲」を書いてきたのでしょう。
わたしの中学時代の先生で、
「備」の右下「用」のところを、
横棒を2本でなく1本、縦棒を1本でなく2本書く先生がいました。
こわそうな先生でしたから、
だまっていました。

 

・新緑を漏れ来る影の高きより  野衾

 

かけがえのない一日

 

パソコンを立ち上げこのブログを書こうとして少し静かにしていると、
鶯の声が聴こえてきました。
二度。三度。
いい声に、聴き惚れてしまいます。
ただいま朝の四時三十七分。
連休が始まる少し前に、
四歳の時から知っている近所のりなちゃんからメールがあり、
それに刺激され、
わたしもコーヒーグラインダーを求めました。
コーヒーの味は、
いろいろな要因によって決まりますが、
なかでも、
挽いた豆の大きさが均一であることがとても重要です。
十年近く使っているミルは、
重宝し、
気に入っていますが、
経年変化もあってか、
いくら粒度調整をしても、
もはや限界というところに至っていました。
これまで使っていたミルでコーヒー豆を挽く音がガリガリガリガリ
だとすると、
もとめたグラインダーで挽く音は処理処理処理処理。
いや、
ショリショリショリショリ。
あきらかに違います。
挽くときの腕にかかるストレスがほとんどありません。
せっかくなので、
サイフォンの布フィルターも替えてみました。
淹れ方は前と全く同じ。
さて味は。
むむ。
す・ば・ら・し・い・!・!
こんなに違うか、
というぐらいに違います。
これまでが不味かったわけではありません。
けれど、
どう言ったらいいんでしょう。
コーヒーは苦い、
ということを改めて知ったというか…。
あたりまえといえばあたりまえ
ですが、
これまで、
苦さをなるべく回避するように工夫してきた、
それが自分でコーヒーを淹れるときの要諦だと思ってきた節がないではありません。
それが今回、
初めてといっていいぐらい、
苦いことが美味しいことと隣り合わせである
ことに気づかされた、
とでもいいましょうか。
まるで人生のような。
人生コーヒー!?
いや、
冗談でなく。
そんなふうに一日をおくれたらいいなぁ。

弊社は本日より営業再開です。
よろしくお願いいたします。

 

・新緑や井の頭線池ノ上  野衾