記憶には全くない事ながら、
秋田にいたころ、
お盆や正月に親戚があつまると、
叔母や叔父から聞かされた、ごく幼い頃のわたしのエピソードがありまして。
だれかれとなく人に向かい、
カメラを手で持つ真似をしては、
「パッ」と口で言い、写真を撮る動作をして笑わせたらしい。
このごろ、
ふと、
そのことを思い出します。
実際のカメラを持って写真を撮っていた時期もありましたが、
このごろはもっぱら手軽なスマホ。
ほぼ毎日のことで、
毎日、
ということがどうやら意味があるらしく、
ひょっとしたら、
その反復によって、
写真を撮る行為の底にある何かが、
記憶にない記憶とリンクしているのかもしれません。
きょうの写真は、
ふだん使っているサイフォンに浮かぶ赤いチャッカマンが金魚に見えておもしろい
と思って撮った
わけではなく、
サイフォンのロートに上がったお湯と湯気を撮ったら、
曲がったガラスに映るチャッカマンが
まるで水槽に泳ぐ金魚のように見えた
というのが正直なところです。
文章にも言えることだと思いますけれど、
意識や計画を超えたところに現れるものに不思議な感動があります。
・サイフォンの湯舟のなかの金魚かな 野衾