ブルクハルトの人間観

 

ここでは種々古めかしい資料を持ち出すかわりに、
アリストパネスの喜劇に登場するピロクレオンに語らせるだけで十分であろう。
この男は
自分の陪審員としての役目の好ましい面を非常に嬉しげに強調している。
ここにおいてわれわれは、
一つ一つどの点を取ってもみな現実の行動から取られているのであり、
このようなとんでもない俗物が何千人も実際にいたのだという確信を持つのである。
つまりこの手合いは、
自分が恐れられ、
呻吟する被告人やその一族のものたちに取り囲まれているのを見出して
幸福感に浸っているのであり、
このような不幸な人たちや脅迫されている人たちが彼にへつらい、
道化たことをやって見せさえせずにいられないので、
公判をまるで上手な芝居でも見るように興がり、
無責任な気ままさと、
自分が皆に起こさせることのできる恐怖を楽しんでいるのである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第一巻』
筑摩書房、1991年、p.319)

 

ペルシア戦争では連合軍として戦ったアテナイとスパルタが、
つぎに来るペロポネソス戦争では、
互いに敵対し、
アテナイはスパルタに敗れます。
上に引用した箇所はその時代を背景にしての記述。
腐敗はこうしてやって来ます。
2400年も前のことでありながら、
人間の行動パターンが、
いま目の前で起きている現実とあまりに似ている
ことに驚かされます。
こうした状況下において、
ソクラテスの告発と裁判が行われる。
高校時代に読んだ『ソクラテスの弁明』を再読する時期が来たようです。

 

・羅や角から清方の女人  野衾