古今和歌集六二五番は、壬生忠岑《みぶのたゞみね》のつぎの歌
有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし
片桐洋一さんの通釈は、
「有明の月はまだ残っているのに、それがつれなく見える思いで、
つれないあなたと別れて帰って来てからというものは、
いつも明け方ほどつらく感じられるものはないことであるよ。」
語釈のところを見ると、
まず「有明の」についてですが、
「夜が明けて明るくなって来るのに、月が空に残っているのが」
の意であり、
「月」と言わなくても、月のことであるのが分かります。
さて、暁《あかつき》と曙《あけぼの》
暁《あかつき》は《あかとき》の転で、
あたりが全体的にようやく明るくなって来た時を指す。
それに対して曙《あけぼの》は、
暁《あかつき》につづく時で、東の空に日の出を感じる頃、
とのこと。
ややこしくなりましたが、
要するに、
夜 → 暁《あかつき》 → 曙《あけぼの》 → すっかり朝
こういうことでしょうか。
なので、
『枕草子』の有名な、
「春は曙、やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」
の曙《あけぼの》は、
朝の時間経過としては、
暁《あかつき》のつぎに来る時間帯であることになります。
こういうところにも、
日本人の言葉感覚、
感性の特徴があるのでしょう。
・口への字郵便局長アロハシャツ 野衾