初穂としての本

 

新嘗祭と書いて、にいなめさい、と読み、
天皇が新穀を神々に供え、みずからも食して収穫を感謝する宮中の祭事で、
十一月二十三日がその日にあたり、
現在は、
「勤労感謝の日」となっています。
新嘗について、
白川静さんは、字訓のなかで、
「新嘗(にひなへ)」は「新(にひ)の饗(あ)へ」で、
「にひ」は新穀、すなわち初穂を意味し、「贄(にへ)」と同系の語である、
としています。
初穂とは、
その年、最初に実った稲の穂、という意味です。
こんなことをいきなり書きましたのは、
拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』を読んだ
畏友・高橋大(たかはし まさる)さんからいただいた、
すてきな絵手紙に触発されたからです。
里山風の田園風景の中に拙著が置かれていますが、
なんの違和感もなく、
ああ、そうか、
と納得がいきました。
おもしろく感じ、ある記憶が呼び覚まされました。
子どものころ、
稲刈りを控えた田んぼの稲を、小高い丘の上に登って眺めるのが好きでした。
こうして書いていても、
そのときの気持ちがよみがえってきます。
黄金色の稲穂がずうっと広く、広く、敷き詰められているところへ、
秋の風が吹いてきて、
さわさわと稲穂を揺らし通り過ぎていく。
風は見えないけれども、
稲穂がつぎつぎと揺れることで、
その存在を知ることができました。
高橋さんの絵から、その時の情景、昂奮がありありとよみがえり、
こんかいのこの本は、
いわば、稲の初穂のようなものであり、
そのことへの感謝の気持ちでもあるか、とあらためて感じます。
わたしのこころが土で、
そこに蒔かれた種たちが芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、時を待って刈り入れられた、
なかには、土になじまず、また施肥が足りず、水や日が足りずに、
途中で枯れてしまったものがあるかもしれない。
そんなことも含めて、
農業との対比を思わずにいられません。
岩波文庫版『日本書紀』の中に、
「農」一字に「なりはひ」とルビが振られていました。
「なりわい」は今「生業」と書きますが、
もともとは、農業における日々の仕事、活動を指すことばでした。
高橋さんの了解を得ましたので、
下にその写真を掲げます。
ありがとうございました。

 

・古代より歳の祝ひや稲つるび  野衾