ビブーティ

 

かつてインドにサイババという偉い(?)指導者がいました。
霊的指導者として、
世界的に注目を集め、
学校をつくったり、病院をつくったり。
日本でもブームになり、
たぶんその頃だったでしょう、
わたしもテレビで動く姿を見たことがあります。
アフロヘアで頭がデカく、
ひとを外見で判断してはいけませんが、
一目見た瞬間、
え!
この人そんなに偉い人なの?
って思いました。
群衆の前に立ち、
手のひらを下にしてニ三度振ってから返すと、
あ~らら、
なんと手のひらに白い粉が出現。
聖なる灰ビブーティ
なるもので、
おもしろがって見ていた気がします。
わたしはただ面白半分に見ていただけで、
それ以上のことはありませんでしたが、
ビブーティの正体は、運動会で白線を引く時に使う消石灰とのことでした。
なので、
何もないところから物質を出現させるのは、
やはり無理で、
ビブーティはいかさまだった
ということになります。
が、
このごろ休日出勤してひとり静かにゲラを読んでいると、
本づくりはあのビブーティに似ている、
と、
ふと感じます。
学問も含め、
アイディア、構想、思想は、
さいしょ頭の中にあって形を成していません。
それが、
一定の時間を経て、
書物の形を成して出現する。
燃やせば灰か。
聖なる灰…
なんだか、ゆっくり現れたビブーティ!
そんな気がしてきました。

 

・騒がしき一日収む寒夜かな  野衾

 

歯ブラシは

 

外から体内に取り入れるものの入口にあって、
食べ物を噛み砕き咀嚼するのが歯
ですから、
それをながく健康に保つための歯ブラシは、
極めてだいじなアイテムでありまして。
いろいろ試してきましたが、
いまは、
奈良県にあるというエビス株式会社が提供する、
ザ・プレミアムケアのやわらかめ、
に落ち着いています。
近所のドラッグストアで初めて見たとき、
エビスさんには悪いけど、
なんだか不格好だな
と思いました。
が、
つかってみるととても具合がよく、
また、
歯を磨くだけでなく、
歯茎をブラッシングするように意識すると、
歯磨きを終えた後、
歯茎が生き生き血行が良くなった気がしてなんとも気分爽快。
下の写真は、
「やわらかめ」を買うつもりが、
まちがえて買った「ふつう」サイズ。

 

・静黙の日の重なるや春隣  野衾

 

『狂気』

 

ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドが1973年に作ったアルバムで、
原題は、
The Dark Side of the Moon
世界で5000万枚以上を売り上げたといいますから、
驚きます。
もう半世紀近く前になるんですね。
むかしレコードで持っていてよく聴きました。
いまはCD。
ほんの時たま、
聴くことがあります。
アマゾンで本のレビューを見ていたら、
おもしろい文章があったので、
その人が、ほかにどんなものを読み、
どんな感想を持っているのだろうと興味が湧き、
順番に見ていくと、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドの『狂気』を取り上げており、
星が一つ。
レビュアーさん曰く、
要するに古い、
と。
レビューの文体から察するに、
若い方かと想像されます。
それにしても★一つとは。
言われてみれば、
たしかにうなずけるところがあり、
時代が変ったんだなあと思うことしきり。
『狂気』もそうですが、
当時流行ったプログレッシブロックなるものは、
ピンク・風呂インド、
いや、ピンク・フロイドをはじめ、
キング・クリムゾン、イエスにしても、
いま聴くと、
ちょっと、
いや、かなり大げさな感じがしてしまいます。
あの頃は、
人生の深奥の音のように聴いていたのに。
我がことを含め、
変れば変るものです。

 

・春待つやピアノの家の起きてをり  野衾

 

読む山日記

 

春風社を起こして約半年後にこのブログを始めました。
「港町横濱よもやま日記」
いま22期目ですから、
21年つづいたことになります。
朝起きて歯をみがき、
センブリを煎じたものを薄めた水を一杯飲んで、
それからパソコンに向かいます。
前日あったことを思い起こし、
じぶんのアタマを整理し、
ひとさまに読んでもらえる文章を練る。
書き終えたころ、
向かいの丘は、
やうやう白くなりゆき。
新しい一日の始まり。
このことをじぶんに課してきましたが、
あらためて、
ひとは言葉でつながることを意識しています。
話し言葉が基本だとは思いますが、
あたりまえのことながら、
話し言葉と書き言葉、
別のものではない気がします。
たとえば、
白川静、諸橋徹次、吉川幸次郎の文章を読んでいると、
この方たちの語りが
なんとなく想像できます。
おそらく、
漢文によって鍛えられた言葉のセンスによって、
精神まで磨かれていたのではないか。
文を読み、
言葉を吟味して綴ることにより、
汚魂を洗い、
ダメなじぶんを鍛えたい。
ある時点で折り返すという考え方もありますが、
年を取ったせいもあるでしょうけれど、
人生は折り返さないのではないか、
という気がしています。
一方向へ向かう。
死んでも勉強という新井奥邃の考えの方が、
わたしには好ましく感じられます。
お読みいただいている皆様、
読んでくださり、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

 

・丘の家春を奏でるピアノかな  野衾

 

大きな計画をしない

 

もしプランニングで誤りを冒しているとすれば
――何が完璧かがわからない以上、現在の私たちはそうですが――
ゆるやかで、最小限に計画して、少し自由すぎるくらいに
その場その場で対応するほうが、
その逆よりもかえってよいのです。
経験から得たよい方法は、
必要以上に計画を大規模なものとしないことでしょうし、
絶対に必要以上のはるか将来を計画しないことです。
(ジェイン・ジェイコブズ[著]
サミュエル・ジップ+ネイサン・シュテリング[編]
宮崎洋司[訳]
『ジェイン・ジェイコブズ都市論集 都市の計画・経済論とその思想』
鹿島出版会、2018年、p.210)

 

都市の計画についての発言ですが、
会社経営についてもあてはまるところがあると感じます。
引用した箇所のまえでジェイコブズがいうように、
計画することは楽しく、
したがって、
大々的な計画を立てることは大きな魅力にもなり得ますが、
それがどうやら間違いのもと。
ジェイコブズと親交のあったドイツのプランナー・ルドルフ・ヒルブレヒト
の言葉も記憶にとどめておきたいと思います。
「すべてを決める必要はない。
我々は次の世代に何かを残しておかなければならない。
彼らにもアイディアがあるだろうからね」
(『同書』p.209)

 

・弟と土器を拾ひし春を待つ  野衾

 

聊斎志異の女性たち

 

『聊斎志異』は、中国、清の時代の怪異短編小説集で、
作者は蒲松齢(1640-1715年)。
柴田天馬の訳で読んでみたいと思い、
修道社から昭和30年に発行された『定本 聊齋志異』全6巻を
古書で求めていたのをやっと読みはじめました。
が、
これのどこがおもしろいの?
と、
悩ましいものもありまして。
かと思えば、
スッキリハッキリ、
おもしろいのは、めっぽう面白く。
とくに恋愛、結婚譚で、
ああ、たしかに魅力的な女性だなぁと思って読んでいると、
だいたい、いや、ほとんど、いや、ほぼほぼ、
人間の女性でなく、
狐でありまして。
美人であることはもちろん、
情に厚く、可愛げがあり、
涙ぐましいほど真実で。
一方、
生身の人間の女性はといえば、
人間に変身した狐の女性に比べると、
影が薄い。
こちらはそれほど魅力的に描かれていない。
巻が進むうちに、
じぶんのこれまでの半生で出会った素敵な女性は、
あのひとたちはみんな、
ひょっとしたら、
狐?
ふと、そんな想像をしてみたくなります。
それはともかく、
63篇もある狐の変身譚には、
作者である蒲松齢の女性観、人生観が如実に表れている気がします。

 

・鍼灸院出でて二声寒烏  野衾

 

ビバークの日々

 

松本大洋おススメの『神々の山嶺』を
年末一気に読みました。
「山嶺」と書いて「いただき」と読ませています。
夢枕獏の原作を谷口ジローが漫画化したもの。
登山家の羽生丈二が、
エベレストの南西壁を冬、無酸素で単独登頂に挑むという
過酷極まる物語。
登山用語で露営、野宿をビバークといいますが、
冬山でひとり蓑虫のように釣り下がって時を過ごす描写は、
実体験のない者にまで、
刻一刻の重さがひしひしと伝わってきました。
わたしがするのはハイキングぐらいで、
登山というレベルのものは実際にしたことがありませんけれど、
『神々の山嶺』は、
山に登る精神、
とでもいったものを見せてくれるようです。
山頂から見える光景をひたすら夢見、
体力の限界、頭脳の限界をもって山嶺に向かう。
頂上から見える光景が鏡となって映しだされるのは、
まだ見たことのない、
これまで知ることのなかった自分の姿かもしれない。
そんなことを感じながら読み進めているうちに、
ハッと気づいたことがありました。
いまのわたしたちの置かれている状況は、
ゴツゴツとした冬山の山頂近くでビバークする登山家の場所、
に似ているのではないか。
いままで体験したことのない時間のなか、
ときに窮屈な思いをしながら
ひっそりと過ごすしかありませんが、
ここでいろいろ考えたことが、
やがて清々しい光景につながり、
それが鏡となって、
これまで見えなかったものが見えてくる、
そんな時が来るような気がし、
またそう願いたい。

 

・暁闇の何の予兆か初烏  野衾