男の心情

 

萬葉集の2867番は、

 

かくばかり 恋ひむものぞと 知らませば その夜はゆたに あらましものを

 

現代語訳すると、

これほどまでに恋しくなるものだと、
はじめからわかっていたなら、
あの晩はもっとゆったりしていればよかったのに。

 

この歌について伊藤博さんは、
二八六七は、女と忍んで逢ったためにゆったりできなかったことを嘆く
男の歌と見える。
たまたま逢いえた夜、
周囲などに気を使ってゆったりと共寝することもできず
慌ただしく帰ってきたその夜のことが悔やまれてならないというのであろう。
「調子には女らしさが感じられる」(『私注』)
という見解もあるけれども、
「その夜はゆたにあらましものを」は、かならず男の心情である。

 

以上は現代語訳をふくめ、
伊藤博さんの『萬葉集釋注 六』(集英社文庫、2005年)448~9ページの記述。
引用文中の『私注』は土屋文明の『万葉集私注』のこと。
土屋の見解に異をとなえています。
断固たる風情で「かならず男の心情である」
という言い方に、
男である伊藤博さんの恋愛観がしのばれておもしろい。
(土屋文明も男だけれど)
万葉集をむかしの歌でなく、
変らぬ人間のこころのありようを描いた歌として、
つまり、
いまの歌としても読む視点があって
学術書ではありますが、
この本、
ふんふんと納得しながら読みつづけられます。

 

・秋深しけふをうらなふ暁烏  野衾

 

御政道

 

深刻さを増す地球温暖化に対処するため
9月に米ニューヨークの国連本部で開かれた「気候行動サミット」で、
日本政府が安倍晋三首相の演説を要望したが
国連側から断られていたことが28日、分かった。
二酸化炭素(CO2)の排出が特に多い石炭火力発電の推進方針が支障になったという。
主催したグテレス国連事務総長は開催に先立ち
「美しい演説ではなく具体的な計画」を用意するよう求めていた。

 

上の引用は、
先月29日付秋田魁新報第一面のトップ記事です。
グテレス国連事務総長の要望の文言は、
日本政府及び安倍晋三首相への痛烈な皮肉ともとれる。
にもかかわらず、
それに応えるものを用意できなかったということなのだろう。
寅さんの
「お天道様は見ているぜえ」を思い出す。

 

・ぽつかりと月下座頭の撞木杖  野衾

 

猫皿

 

家人が帰宅早々、
「こんなの買ってきた」と、わたしの目の前に差しだした。
見れば小ぶりの小さな皿。
灰皿のようでもあるけれど、
灰皿にしては
吸いかけの煙草を置く用のくぼみが二つ。
どうして二つ?
しばらく考えても思いつかず、
家人に尋ねると、
猫の顔に見える皿だよと。
ん!? あ!
たしかに猫だ。
きけば、
障害者の支援施設「秦野ワークセンター」の方の作品とか。
猫に見えた瞬間から、
もはや猫以外には見えなくなった。

 

・柿二つならび明るむ昼の卓  野衾

 

痛風発作か!?

 

きのうのことでした。
いつものように起きて歯を磨いてパソコンを立ち上げ
この日記を書こうとしていると、
左足の親指の付け根がピリピリします。
え!? 痛風発作!?
まずい!
あの痛みは半端じゃない。
ということで、
一日、
床に就くまで、
水、牛乳、どくだみ茶を通常の倍ちかく飲みました。
記憶では、
発作の出初めは午後三時から四時ぐらい
にかけてでしたから、
その時間はまさに戦々恐々、
ドキドキものでしたが、
なんとか無事に過ぎ、
いまのところ事なきを得ています。
が、
大事をとって数日は
いつにも増して水分補給に心がけたいと思います。

 

・廃校の庭をセイタカアワダチソウ  野衾

 

毛桃

 

我がやどの 毛桃の下に 月夜さし 下心よし うたてこのころ

 

萬葉集を読んでいると、
「毛桃」という単語が何度かでてきます。
毛桃とは、
「柔毛(にこげ)の密生した実のなる桃の木」であると、
「新潮日本古典集成」の『萬葉集 三』に語釈が載っています。
さらに、
「我がやどの毛桃」については、
「わが家の娘を譬えた。ここは女陰をもにおわす」との説明。
「月夜さし」は、
「娘に月水(初潮)の現われたことを譬えた」
「下心よし」は、
「心の奥底でひそかに満足感を味わうさま」と。
「うたて」は「なぜか、奇妙に」
この歌はまだわが家の娘のことなので、
それほどでもないですが、
男女の恋愛の歌において「毛桃」が登場すると、
さらに意味深になってきます。
学校教育も時代とともにどんどん変化しているようですが、
このたぐいの歌は、
ちょっと教科書にはなじまないか。

 

・厨より寂しき香せり菊膾  野衾

 

過去と現在

 

飯田蛇笏の句集『心像』に、

 

洗ひ馬脊をくねらせて上りけり

 

という句が入っています。
蛇笏は1885年生まれですから、
昭和17年作となれば、57歳でしょうか。
この句を目にしたとき、
川で体を洗ってもらった馬の、道に上がってくる姿がありありと目に浮かびました。
蛇笏はその頃実際に見たのでしょう。
しかし、
数十年の時を経てこの句をいま目にするとき、
わたしが子どもの頃に見た馬が目の前に現れるような気がします。
それからこうも思いました。
写真や記録にはのこっていなくても、
思い出を
過去のものとしてではなく、
現在において詠むことはできる、
言葉を用いてならそれが可能なのだなと。
川で体を洗ってもらった馬は、
ほんとうに背をくねらせて川べりの道に上ってきます。
「けり」も効いているなぁ。

 

・東(ひむがし)の秋を彫りだす暁烏  野衾