萬葉集の2867番は、
かくばかり 恋ひむものぞと 知らませば その夜はゆたに あらましものを
現代語訳すると、
これほどまでに恋しくなるものだと、
はじめからわかっていたなら、
あの晩はもっとゆったりしていればよかったのに。
この歌について伊藤博さんは、
「二八六七は、女と忍んで逢ったためにゆったりできなかったことを嘆く
男の歌と見える。
たまたま逢いえた夜、
周囲などに気を使ってゆったりと共寝することもできず
慌ただしく帰ってきたその夜のことが悔やまれてならないというのであろう。
「調子には女らしさが感じられる」(『私注』)
という見解もあるけれども、
「その夜はゆたにあらましものを」は、かならず男の心情である。」
以上は現代語訳をふくめ、
伊藤博さんの『萬葉集釋注 六』(集英社文庫、2005年)448~9ページの記述。
引用文中の『私注』は土屋文明の『万葉集私注』のこと。
土屋の見解に異をとなえています。
断固たる風情で「かならず男の心情である」
という言い方に、
男である伊藤博さんの恋愛観がしのばれておもしろい。
(土屋文明も男だけれど)
万葉集をむかしの歌でなく、
変らぬ人間のこころのありようを描いた歌として、
つまり、
いまの歌としても読む視点があって
学術書ではありますが、
この本、
ふんふんと納得しながら読みつづけられます。
・秋深しけふをうらなふ暁烏 野衾