炎暑

 

まさに燃えるような暑さのこのごろ。
寒さや冷たさが度が過ぎて痛くなるように、
暑さも度が過ぎると、
暑いを通り越してひりひりと痛い。
きのうあたり外を歩いているとそんな感じでした。
蟬がさかんに鳴いています。
数日のいのちを終えて
ころり横になっている蟬がちらほら目につきます。
先日、
捕虫網をもった親子を見かけました。
蟬が鳴きはじめた頃でしたから、
蟬を捕獲しようとしていたのでしょう。
木の上をふたりで見上げていました。
捕れたか
捕れなかったか
分かりませんが、
なつかしい光景で
しばらく眺めていました。

 

・梅雨明けや烏尿(ばり)する雲軽し  野衾

 

無私への旅

 

ヘーゲル『精神現象学』の終りに、
こんなことが書いてあります。

 

この系列の行き着くところは深みの開示〔啓示〕であり、
絶対的概念の開示である。
従ってこの開示は精神の深みを止揚することであり、
それを展開することであり、
自己内に止まる自我を否定することである。
(G.W.F.ヘーゲル著/牧野紀之訳『精神現象学』p.1010、未知谷、2001年)

 

とちゅうごにょごにょぐちゃぐちゃしていても、
最後がかっこいいと
むずかしく感じた箇所も含めて好きになる
映画や小説のように、
視界がパッとひらけたよう。
そして、
シラーの「友情」と題する詩からの自由な引用だというこの二行。

 

様々な精神の国の杯があってこそ
精神は無限に豊かに泡立つのである。
(同書p.1011)

 

けっきょく、
奥邃をさらに読みとくための読書になったようです。

 

・鯉ゆらり水とろりする極暑かな  野衾

 

野外コンサート

 

野外でのロックフェスティバルもジャズライブも、
実際に参加したことはありませんが、
レコードやCDを聴きながら、
いろいろ想像することはできます。
好きなアルバムに
V.S.O.P. THE QUINTET LIVE UNDER THE SKY ’79
がありますが、
これは、
東京「田園コロシアム」で行われた伝説のコンサートで、
なぜ伝説になっているかといえば、
豪雨のなかでの演奏だったから。
ライナーノーツを書いている成田正さんによると、
豪雨のため、
ミュージシャンもエンジニアもスタッフも聴衆もずぶ濡れになった
(そのことにより奇跡的な一体感が生まれたのだとか)
にもかかわらず、
EYE OF THE HURRICANEが演奏されているあいだだけは
雨が降り止んだそう。
まさに
「台風の眼伝説」
その場の雰囲気がありありと記録されており、
この季節になると必ず聴く一枚。

 

・ロックフェスアンダーザスカイ夏が行く  野衾

 

意識が旅する物語

 

ヘーゲルの『精神現象学』にはそんなことが書かれています。
旅するのは芭蕉やゲーテや、
それからとにかく
ニンゲンに決まっている
かと思いきや、
この本では
ニンゲンの意識が主人公で、
いろいろと遍歴の旅を重ねていきます。
意識を意識する自己意識、
みたいな。
むずかしい哲学書として
つとに有名ですが、
そんなにむずかしいのなら、
哲学学徒ではないのだし、
あえて読む必要はないだろうと高をくくり
読まずに来ました。
が、
来月に予定しているトークイベントのテキスト『沢田流聞書鍼灸眞髄』
(医道の日本社)を読んでいましたら、
漢方では、
心臓と腎臓をあわせて精神と呼ぶ
との記述が
なんどか登場し、
へ~、そうなんだと
目から鱗が落ちるようでありました。
そうなると、
待てよ、
ヨーロッパではどうなんだ?
の疑問がもたげ、
精神といえばヘーゲル、
ヘーゲルといえば『精神現象学』
という連想から、
未知谷からでている牧野紀之訳のものを読むことになりました。
なるほどやはりむずかしい。
好ましいのはこの訳者のスタンスで、
ライフワークでヘーゲルをやってきたニンゲンでも、
分からないことは分からないと
注ではっきりそう書いてある。
ご本家ヘーゲルにまでツッコミを入れたり。
ヘーゲルのこういうところが悪いクセ
だとかなんとか。
事程左様に、
牧野紀之さん、
そうとうの個性の持ち主とお見受けしました。

 

・みだれ飛ぶ梅雨の終りの烏かな  野衾