希望について

 

フランクルの『夜と霧』(みすず書房)には
収容所における地獄絵図のような日々が記されていますが、
全編を通じておしえられるのは、
希望によってひとは生きる
ということでした。
若いひとを元気づけ勇気づけおもしろく感じさせるものは多くありますが、
歳を重ねるにつれ、
だんだんそうしたものが少なくなっていく
気がします。
新井奥邃の文章に触れてから四十年経ちますが、
奥邃の文章を読むと、
ふつふつとちからが湧いてくる気がし、
それはいまも変わりません。
奥邃の文章には本気がこめられていて、
読んでいるときに
それがこちらにつたわってくるからだと思います。
奥邃に親近し最後まで奥邃を世話したひとに
秋田出身の中村千代松がいますが、
中村は、
自身の最晩年、
床に伏したまま静かに奥邃の文章を読んでいた
といわれています。
また、
かつて五木寛之の「夜の時代」という文章を読んだことがありますが、
夜の時代といえば、
いまもそうかもしれません。
悲観し絶望したくなることがつぎつぎ起こってきますが、
そうであればこそ、
希望をもって生きることのたいせつさと
そのための勉強を
思わずにはいられません。

 

・五月雨や崖うへの店烏賊を焼く  野衾

 

活学

 

新井奥邃の命日にあたる六月十六日、
新井奥邃先生記念会が下北沢の北沢タウンホールでありました。
参加者は十五名。
奥邃に直接ゆかりのある方がいなくなったこともあり、
周辺知識よりもまず
奥邃の文章を読んでみることが大事ではないか
と提案した手前、
ここ四回ばかり、
奥邃の文章からわたしがいくつか選び、
レジュメをつくって音読し、
感想とコメントを加えるようにしてきました。
きのうは「学」「活学」にふれた文章を取り上げました。
死んで終わりではない活学が読む者に希望を与えてくれます。

 

・蛇跨ぐ鎌首くるり刹那かな  野衾

 

腹も歳とる

 

久しぶりに発症した痛風発作でしたが、
ようやく治まり、
ふつうに歩けるようになりました。
酒を止めているのでこころに油断があったか
とも反省しましたが、
それほどぜいたくな食事を重ねたわけでもないのに、
なにゆえ?
の思いがくすぶっていました。
ふと気づいたのが加齢。
外見は鏡を見ればいやでも気づくし、
歯や目の衰えも気づきやすい。
ところで内臓は?
めだつ変化を感じることがあまりなくても、
内臓だって
年相応に古びてきているにちがいありません。
おなじものを食べても
若いときと今とでは、
消化吸収にかかる時間が変わってきて当然。
そともうちも、
労わりながら付き合っていくしかないなと納得したしだいです。

 

・日輪も海も深ぶか夏に入る  野衾

 

輝く星になれ!

 

テレビで日本ハム×広島戦を観戦。
金足農業高校出身の吉田輝星選手がプロ入り初登板とのこと。
見ないわけにはいきません。
秋田での視聴率高かったろうなぁ。
いやぁ、見ているこっちがドキドキしました。
吉田の表情はといえば、
さほど緊張する風でもなく、
ひょうひょうとしたいつもの感じで。
五回を投げ一失点。
ほかの選手の応援もあり、
チームとしても2-1で広島に勝利。
えがったえがった!
ヒーローインタビューでお立ち台に立った吉田、
親への感謝をことばにし、
キラキラ輝いていました。
まさに輝星、輝く星!
泣けてきましたよ。
これからますます楽しみです。
ということで、
床に就く時刻をいつもより三十分延長。

 

・枝離れ跳ねとぶ蛇の刹那かな  野衾

 

教育と他者

 

橋本憲幸さんの
教育と他者 非対称性の倫理に向けて』が
日本比較教育学会平塚賞審査委員会特別賞を受賞いたしました。
わたしが体調を崩したことで、
さいごはほかの編集者に頼みましたが、
編集にかかわった者として、
これはとても印象深い本でした。
それは書名の変更に端的に表れていたと思います。
当初はちがうタイトルでした。
なんどかの校正のやり取りをする過程で、
橋本さんは、
自身がしてきた研究は、
とどのつまり、
教育の倫理に関するものだったとはっきり認識するに至ります。
そのプロセスが、
伴走する者としてとてもスリリングに感じました。
帯文は本文から引いたものですが、
そこに橋本さんの感性が
ひとことで表現されています。
すなわち、

 

教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である――
だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?

 

橋本さんの真摯な学びと研究が斯界のひとの目にとまり、
受け止められ、了とされたことを
わたしもたいへんうれしく思います。

 

・逗子までの眉間に皺寄す暑さかな  野衾

 

腐草為蛍

 

七十二候の第二十六候。
くされたるくさ、ほたるとなる。
実際に腐った草がホタルになるわけではないでしょうが、
むかしからそういわれてきたのは、
臭いによるところ大じゃないでしょうか。
子どものころ、
結婚前のおばさんと蛍狩りに行ったりしましたが、
ホタルって、
ながめている分にはいいけど、
捕まえると、
指先や掌がながく臭います。
あの臭い。
たしかに、
青草をすりつぶしたような、
それにプラスして腐ったような独特の臭いでありまして、
腐草→ホタルの連想は、
臭いに関してはあるあると思います。
むかしのひとのセンスに感服。

 

・ながむしを跨ぐつかのま空ゆらぎ  野衾

 

トホホ…な、嫉妬

 

嫉妬の根源には、したがって二つの発見がある。
一つ目は、われわれは、
自分が大して気にも留めていないと思っていた人物のことを、
案外気にかけていたのだという発見である。
二つ目は、
この人物にもその人自身の人生があり、
その人自身の関心や人間関係があり、
そして、
その人がどんなに従順で服従的に見えたとしても、
その人の欲望は決して
われわれの思い通りにはならないのだという発見である。(p.148)

 

上掲の文章は、
『プルーストと過ごす夏』(アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ 他
/國分俊宏(こくぶとしひろ)訳/光文社/2017年)の一節。
この本は、
訳者あとがきによれば、
2013年7月1日から8月23日までの月曜から金曜、
八週にわたって毎週一人ずつ
研究者や作家などのゲストがプルーストについて語るという
ラジオ番組の放送からうまれたもの。
ということで、
サクサクッとおもしろく、
ときにプッと噴き出したり、
わかいころの傷みと痛みを思い出したりしながら読みました。
ちなみに、
引用した文章をふくむ「愛」の章の担当は、
1933年生まれ、哲学者でソルボンヌ大学名誉教授のニコラ・グリマルディさん。

 

・崖うへの烏賊焼く店や走り梅雨  野衾