また青さ

 

・じりじりと大型台風接近す

先日、「鷗」というタイトルの詩を書きまして、
そのなかに、
「いのちの滴の 青さ 甘さ また苦さ」
という一行を入れました。
それは、
書き始めの始めから
ひょいとでてきて
書きとめたものでしたが、
言葉の調子というかリズムというか、
なんか知ってるぞ、
どこかで見ている口にしている、
なんだろう?なんだろう?と思ったら、
宮沢賢治の有名な
「春と修羅」の一節「いかりのにがさまた青さ」でした。
そうだったか!
驚きました。
若いときは賢治が好きで、
文庫本で飽き足らず、
校本全集まで買って読み、
教師を辞めるとき先輩教師に買ってもらい、
東京の出版社に入って
生活が少し安定してきてから、
先輩に頭を下げ以前買ってもらった全集を
買い戻したそれぐらい好きでしたが、
このごろとんと読まなくなっていた。
ところが、
体が記憶していたとでもいうのか、
「いかりの~」のフレーズが不意に口をついて出た。
不思議な気もしたけれど、
案外そういうものかもしれないと思い、
賢治にぐっと、
言葉を通してですが
近づいた気さえしました。
「いのちの滴の 青さ 甘さ また苦さ」
の行は、
目で見、口で味わい、精神においてのことではありましたが、
賢治の詩のイメージが
体が記憶しているほどあまりに強すぎ、
気持ちに引っかかるものがあり、
「いのちの滴 かけがえのない」とし、
あわせ、
前と後ろの行を変えました。

・まま行けよなんで曲がるの台風よ  野衾