‘いい本’

 哲学者ひとりぽっちの年の暮れ
 『頭山満と近代日本』がおかげさまで売れ行き好調、ありがたいことです。それにつれて、『新井奥邃著作集』など、地味な既刊本も少しずつですが注文が入ってきています。これは、『頭山満〜』によって小社のことを知ってくださった方が、へ〜、こんな本も出しているのか、と他の書籍も購入してくださっているからだと思われます。はっきりとは分かりませんが、おそらく間違いないでしょう。
 大手新聞に広告を打っても、お金がかかるばかりで今はそれほどの効果が望めません。となれば、読者に喜んでいただける‘いい本’を作り、そこから裾野を広げていくしかありません。
 ‘いい本’は売れないというのがこの業界のジンクスで、それは全くそのとおりなのですが、あまり売れそうにない‘いい本’が読者の手に渡り会社が認知され、他の本にも興味を持ち、1冊でも買ってくださる方がいれば、そのほうが小出版社にとっては望ましい気がします。もともと小部数しか作っていませんから。その点、農薬や肥料を使わずに野菜やお米を作っている、こだわりの農家に近いかもしれません。

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背骨ゆらゆら

 天使かと聖夜降り敷くサラの声
 背骨ゆらゆら健康法が今月15日発売号の『壮快』『Sundari(スンダリ)』に紹介されました。
 特に『壮快』では、内科医、外科医など西洋医学を修めた現場の医師の体験談をはじめ、朱剛先生の解説、蛹動(ようどう)、擺動(ばいどう)がていねいに紹介されています。また、横浜教室の模様がカラー写真で掲載されています(赤いシャツは専務イシバシ、黒いセーターがわたし)。
 小社刊行『背骨ゆらゆら健康法』とあわせご覧ください。

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今年も

 鍋の香やふるさと浮ぶ忘年会
 ここ数年、忘年会は小料理千成と決まっている。
 新鮮な山の幸海の幸がふんだんに入った鍋が中心で、当初、23種類の具が入っていたので23鍋と称したが、年年、中の具の種類が増え、大将のかっちゃんに聞いたところ、今年は29まで数えて諦めた、という。
 それぞれのエキスが見事に調和し、まさに自然の恵みのハーモニーや〜! といったところ。最後のおじやの美味しかったこと!
 鍋を中心に、と書いたが、もちろん鍋料理だけではない。刺身、鴨肉のハム、カニサラダ、ホタテの煮付、サーモンの燻製などなど、どれをとっても美味至極。
 北海道旅行に行った馴染みの客が、刺身はやっぱり千成に限るなぁと言ったとか。それほど大将のかっちゃんは素材の新鮮さにこだわっている。それに天才的な料理の腕が加わるわけだから、鬼に金棒、かっちゃんに庖丁、というわけなのだ。来年は小社十周年の年、これからもよろしくね、かっちゃん!

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ことば

 寒鴉ゴミ追ひ手摺りすべり落ち
 気心の合う人と話すのはたのしい。お互いに話してない時も、ことばにならないことばが、さざなみのように行き交う。
 また、ほんのちょっとした、お疲れさん、ご苦労さんのようなことばや挨拶にも、万感の思いはこもるし、説明しなくても、それは相手に届くものなのだろう。

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快便

 坂下り上り上りて冬の月
 昨日の朝のこと、いつものように気功を終えトイレに入った。腹がスッキリし紙でお尻を拭くとほとんど痕が着いていない。上半身をひねり、見れば、立派な便だった。立派としか言いようがない。ふむ。便器から下り、しばらく矯めつ眇めつして、見た。見入った。
 それから、いつものように朝風呂に入った。ら、どういうわけか、またもよおしてきた。どういうわけだろう。なんで? なんで? 考えても始まらないので、風呂から上がり、取るものも取り合えず、からだをサッとバスタオルで拭き、裸のままトイレに掛け込んだ。またも腹がスッキリとして便が出た。上半身をひねり、見れば、先ほどと同じく、またも立派な便だった。両方合わせると、大変な量になる。宿便? そうかもしれない。いずれにしても、体がふわりと軽くなった気がした。
 冬のハエ尻が平らに透けてをり
 交差点人も犬も息白し

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練功300日

 わけもなく落ち込む俺だよ冬の蝿
 1月から始め、毎日朝晩つづけている気功が300日を超えた。明日になって風邪を引くかもしれないが、今のところ今年は一度も風邪を引いていない。尾篭な話で恐縮だが、痔の出血も無くなった。これは、鍼灸によるメンテナンス、玄米粉クリームとの相乗効果と喜んでいる。
 からだの健康もさることながら、ものに触れたときの感覚が少しずつ変わってきたように思う。朱剛先生は気持ちが落ち着くことをことあるごとに強調される。すべての事象は因果の法則を免れないけれど、それはそうであっても、それとは別に、気持ちが静かに落ち着いていることは可能だし大事であると。その境涯までははるかな道のりに思える。焦らずに、次の目標、練功千日を目指してゆっくりつづけていきたい。
 背骨ゆらゆら健康法、皆さんもいかがですか。今月15日には健康雑誌『壮快』に14ページにわたって、また女性雑誌『Sundari(スンダリ)』にも、小さくですが紹介されることになっています。
 山路来て葉裏たのしも冬日かな
 おもて無しうら無し冬の紅葉かな

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サラ・マクラクラン

 冬の蝿どたどた歩いて止まりをり
 岡山出張の朝、前日に購入したサラ・マクラクランのSurfacingに入っているエンジェルという歌を聴いているうちに、突如嗚咽し滂沱として涙があふれた。こんなことがたまにある。気取って言えば、訪れる、ということになるのだが。
 一昨年の四月に左の鎖骨を骨折し、それから半年して体の変調にさらされ、気持ちも落ち込み、医者にかかり、整体師、鍼灸師、マッサージ師、気功師、いろいろ診てもらった。今年に入って1月から禅密気功を始め約1年になろうとする。その矢先の出来事だった。
 何かに圧倒されるようなことがらの前で意味を把握できず、岡山へ向う新幹線のなかでカメラマンの橋本さんに事の次第を告げた。線にならない断片的な感じ分けを黙って聞いてくれて、橋本さんはぽつりと、欠けたことが財産になっているんじゃないかな、と言った。欠けたことで、外から我が身に及んだものがあるのだろうか。
 意味を量り兼ねその後CDを掛けてみるものの、歌は静かに流れ、あのからだとこころのふるえは何だったのかと逆に驚く。いずれにしても、けして短くなかったトンネルを抜け出し、新たな地平へ身を乗り出したことだけは事実のようだ。
 やりのこしことのみ思ふ年の暮れ
 こんもりと落ち葉あつめて風黙す

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