サラ・マクラクラン

 冬の蝿どたどた歩いて止まりをり
 岡山出張の朝、前日に購入したサラ・マクラクランのSurfacingに入っているエンジェルという歌を聴いているうちに、突如嗚咽し滂沱として涙があふれた。こんなことがたまにある。気取って言えば、訪れる、ということになるのだが。
 一昨年の四月に左の鎖骨を骨折し、それから半年して体の変調にさらされ、気持ちも落ち込み、医者にかかり、整体師、鍼灸師、マッサージ師、気功師、いろいろ診てもらった。今年に入って1月から禅密気功を始め約1年になろうとする。その矢先の出来事だった。
 何かに圧倒されるようなことがらの前で意味を把握できず、岡山へ向う新幹線のなかでカメラマンの橋本さんに事の次第を告げた。線にならない断片的な感じ分けを黙って聞いてくれて、橋本さんはぽつりと、欠けたことが財産になっているんじゃないかな、と言った。欠けたことで、外から我が身に及んだものがあるのだろうか。
 意味を量り兼ねその後CDを掛けてみるものの、歌は静かに流れ、あのからだとこころのふるえは何だったのかと逆に驚く。いずれにしても、けして短くなかったトンネルを抜け出し、新たな地平へ身を乗り出したことだけは事実のようだ。
 やりのこしことのみ思ふ年の暮れ
 こんもりと落ち葉あつめて風黙す

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