‘いい本’
哲学者ひとりぽっちの年の暮れ
『頭山満と近代日本』がおかげさまで売れ行き好調、ありがたいことです。それにつれて、『新井奥邃著作集』など、地味な既刊本も少しずつですが注文が入ってきています。これは、『頭山満〜』によって小社のことを知ってくださった方が、へ〜、こんな本も出しているのか、と他の書籍も購入してくださっているからだと思われます。はっきりとは分かりませんが、おそらく間違いないでしょう。
大手新聞に広告を打っても、お金がかかるばかりで今はそれほどの効果が望めません。となれば、読者に喜んでいただける‘いい本’を作り、そこから裾野を広げていくしかありません。
‘いい本’は売れないというのがこの業界のジンクスで、それは全くそのとおりなのですが、あまり売れそうにない‘いい本’が読者の手に渡り会社が認知され、他の本にも興味を持ち、1冊でも買ってくださる方がいれば、そのほうが小出版社にとっては望ましい気がします。もともと小部数しか作っていませんから。その点、農薬や肥料を使わずに野菜やお米を作っている、こだわりの農家に近いかもしれません。
続けるための力というよりも、続けることの力ですね。いい本を出すことが難しくなった昨今にあって、貴社は稀少な出版社だと思います。僕なんて、宣伝文句に騙されてゴミ本を読むことがしばしばです。人生なんてそんなには長くないのにね。
蝦夷さんへ
コメントありがとうございます。
「いい本」のことで、こんなことがありました。
先月、横浜の女子中学生が体験学習に訪れたことはこの日記にも書きました。
その折、わたしから小社創業の精神について説明しました。
後日、その中学校で報告会があるというので招待され、いそいそと出掛けました。
ウチに来た4人の番になり、順番に報告していきます。
いまどきの中学生らしくなく、滑舌よろしく実にハキハキしています。
へ〜、話したことをよく聞いているもんだと感心していたら、
3番目の生徒が、「どうして春風社が大学生や大学の先生が読むような難しい本を多く作っているかというと、いっぱんのひとを相手にすると、どれぐらい売れるか全く見込みが立たないのに対し、売れる冊数は少なくても、専門書のほうが売れ部数の予測がある程度可能なのだそうです。みうら社長はそうおっしゃっていました」と声高らかに発表しました。
た、たしかにそういうことを言ったかもしれないけれど、それは話の枕であって、
本筋の話ではなかったのに、と思ったものの、しょせん後の祭り。
周りを見回すと、わが子の報告を聞きに来ていた父母は、
なるほどなるほどといった具合に首を振っているのでした。
わたしの顔がみるみる紅葉していったのは言うまでもありません。
げに中学生を侮ってはならじと思った次第です。
ははは
商売は商売 売れなくては食っていけない。しかし、何で食うかが問題。いい本で食うか、ゴミ本で食うかは任意なわけですからね・・・
むしろゴミ本のほうが儲かるのじゃあるまいか。
僕は、ゴミ本を出す出版社で、これっぽっちも感動しない、だから大事な友達になんか勧められないような本をてきとうに編集(作文)していい給料をもらうより、いい本を出す出版社で、給料は安くとも(失礼!)、自分が編集した本、あるいは自分が売る本に対する誇りと自信を持つことのできる仕事をしたいと思う。(でも、タレントが書く本がゴミ本で、大学の先生たちが書く本が「いい本」だとは限らないのはいうまでもないですけど。僕も、ゴミの様な論文をかなりしばしば読んでいますから。)