同時通訳

 先週金曜日、イタリア文化会館で開かれた『対話が世界を変える:聖エジディオ共同体』出版記念パーティーでのこと。版元を代表して挨拶することになっていたのだが、事前に通訳の方から、同時通訳なので出来ればゆっくり話してもらえればありがたいとのコメントをいただいた。そりゃそうだろうなあと思ったから、本番ではなるべくゆっくり、ちょっと訳すのに難しいかなと思われる単語を使った時は少し間を置いてから次の話題に移った。てな調子でのんびりゆっくり話していたら、壇上右袖に立っていた司会者がツーと動いたのが目に入った。ん? と思ったら案の定、わたしのところまでやって来て、目の前のテーブルの上に紙を置き元の位置へ戻っていった。紙にはボールペンででかでかと「時間がまいりました」と書いてあった。

嗚咽

 出社し、総務イトウの机の前を通りかかると、いきなり、「藤原紀香がお笑いの陣内智則と結婚することになりましたね。吉岡美穂のできちゃった婚にも驚きましたが…」。「あ、そ」としか言えなかった。そうか。とうとう藤原紀香も結婚するか。相手の陣内智則、知的な笑いが売り物のピン芸人で、面白いところもあるが、声を出して笑うほどでもない。なんで、陣内なんかと…。いや、やめておこう。むなしくなるだけだ。出身も同じ兵庫県だっていうし、お笑いはともかく、性格は穏やかそうだから、ここは黙って祝福するしかないのだろう。くくく…。

デ・ニーロ70%

 明日の出版記念パーティーの打ち合わせでイタリア文化会館へ。カミーノ、ミラーノ、ロマーノ、ボンジョールノみたいな言葉が飛び交い、意味はわからないが、おお、本場のイタリア語かぁと妙に感心。通訳してもらいながら話し合いが進む。と、そこに会館の人が部屋に入ってきた。彼の顔に釘づけ。少々太り気味には違いないが、なんと、あのハリウッドの名俳優ロバート・デ・ニーロに、そっくりとは言わないまでも、いとこだと言われればそうかと信じるぐらいには似ている。話し合いはそこそこに、デ・ニーロにほぼ近い彼の顔をまじまじと見ていた。彼、変に思ったかもしれない。そこでわたしは考えた。ロバート・デ・ニーロはやはりイタリア系であったかと。個性派俳優のデ・ニーロだが、顔について言えば、本国イタリアでは割りとオーソドックスな顔なのかもしれない。

静黙

 仕事中BGMが流れていることが多いけれど、ときどき次のCDがかかるまで(担当、というわけではないが、だいたい編集長ナイトウが適当なものを選びかけてくれる)しばらく無音の時がある。しーんとして、ハッとし、頭を上げると皆しずかに机かパソコンに向かい仕事をしている。集中の気とでもいうのか、それが支配しているようなのだ。それぞれの仕事はそれぞれで、たとえばスポーツのチームワークとは異なるけれど、やはりその場の空気みたいなものがあって、個人の仕事でもそれに押されて進むということはありそうだ。

対話の必要

 近刊『対話が世界を変える』の著者アンドレア・リッカルディさんは、本書の中で、対話が不可能である人々というカテゴリーをつくらないように注意すべきと仰っている。深い信仰がなければ言えない言葉だと思う。『新井奥邃著作集』完結を機に、対話をキーワードとした本の刊行が成ったことがうれしい。対話はもちろん人との対話もあるけれど、自然との対話、自己との対話、神との対話、いろいろだ。『日中教育学対話』(仮題)という本もシリーズで出すことが決定。

きりり

 このごろめっきり寒くなり、家の中は暖房が必要になってきたが、空気が乾燥するせいか見慣れた風景がくっきりしている。特に朝夕。
 昨日の夕陽は素晴らしかった。向かいの丘にある高校の体育館の窓に反射した光がきらきら輝き見飽きることがなかった。じっと見ていたせいで、部屋の中へ目を移したときには、真っ暗に見え、慣れるまでしばらくかかった。今朝、部屋着のままゴミ出しに外へ出た。冷たい水で雑巾を絞ったときのようにきりりと心地いい寒さに身が引き締まる。雲ひとつない快晴!

 今週の「よもやま」のタイトルは、なぜだか1文字なので、最後も1文字で締めくくろう。
 昨日、ある中学の女子生徒からわたしに電話があった。「今お時間よろしいでしょうか」「□□日と△△日にお世話になる**中学の○○と申します。よろしくお願いします。いくつか質問があるのですが、よろしいでしょうか」と、実に礼儀正しい。緊張が電話口から伝わってきて、わたしのほうがしどろもどろ。担当の先生から、電話をするときはこう言いなさいと指示されたのかもしれないが、それにしてもだ。電話の用件は、今月予定されている体験学習について、生徒本人からの事前の問い合わせ。出版社の仕事とはこういうものかと具体的なイメージづくりの手助けになれればと思うのだが…。