吉とでるか凶とでるか

 今年は例年になく稲が豊作のようで、いまのところ農家は大喜び。昨日は北秋田地区で大雨洪水警報がだされたぐらい大量の雨が降り、それから降る地域が広がったのか、ここ南秋田郡でも昨夜から途切れることなく慈雨が降っている。これで台風が来なければ、と父は言う。
 一年手塩に掛けてきた稲も、台風に直撃されればぺちゃんこになぎ倒され、一巻の終わり。農業が天候によって大きく左右されることは「ダッシュ村」の例を見てもわかる。これから二ヶ月、農家の人はだれでも、台風の発生と進路に戦々恐々となる。
 収穫を当て込み農協から借金してきた農家は、台風一過で元も子もなくしてしまう。娘を売りに出すことは今はさすがになかろうが、出稼ぎを余儀なくされ、遠くで働いているうちにさびしい思いに駆られて、なんのために出稼ぎに来たのかわからなくなってしまうことだって起こりうる。一家離散への不幸の連鎖の始まりが台風であったという、笑うに笑えぬ話もある。
 実るほどこうべを垂れる稲穂は、垂れれば垂れるほど台風に弱い。十分な実入りを望み、あと一日刈り入れを待ってみようと欲をかいたことが凶とでて、台風にやられることも間々ある。その見極めが難しい。経験上そのことが分かるわけではない、父や周りの農家を見ていてそう思う。

会話

 秋田に帰ってくると、床に就くのが早いせいか、目覚めも早い。数日しか居ないし、もったいない気がして、目が覚めたらすぐにサンダル履きで外へ出、朝の空気を吸う。もやがかかった山々や田んぼの緑を眺めていると、こっちまで潤ってくるような気がして清々しい。
 庭を歩きながら植木の成長ぶりを見るのも楽しい。めでたいことがあるごとに祖父は木を植えていたが、自分に関することは知っていても、全部は憶えていない。感傷的な気分に浸りながらさらにゆっくり歩く。蛙がどぼんと池に飛び込み石に這い上がり、あさっての方角を見ている。カラスたちが金兵衛さんの畑の栗の木に集まりぎゃーぎゃー鳴いている。よほど暇なのか、リズムを変えたり声色を使ったり。陰に隠れて見えないのもいるが、六、七羽はいるだろう。
 目の前に太い釣り糸のような白い糸が現れた。触ると弾力性があり、切れるものではない。糸の先を見ると、ヤドカリ大の蜘蛛がいた。でかい! でか過ぎ! こんなのにひっかかったらたまったものではない。さっきまでの感傷的な気分が一気に吹っ飛ぶ。
 いつから見ていたのか、縁側から母が、「その糸にトンボでもチョウチョでもなんでも引っ掛かるのよ」と声を掛けてきた。驚いて振り向いたが、わたしはそれには答えない。
 夜、酒を飲んでいたときだ。母から聞いていたのか、父が突然こんな話をし始めた。「おれは不思議なのだよ。あのでかい蜘蛛のことさ。屋根のひさしから柿の木までは優に八メートルはある。どうやって糸を張ったものか。いったん地面に下り、それから歩いていって木に登ったのだろうか」。「きっと風に乗って運んだのさ」。それから父はまたわたしのコップに酒を注いだので、蜘蛛の話題はそれっきりになってしまった。テレビでは巨人-阪神戦が3対3のまま延長戦へ。父もわたしも弟も右ひじを折り曲げ枕にし「川」の字で野球観戦。母は台所で洗い物。奥の部屋では子どもたちがゲームに夢中。こんな時間がほしくて田舎に帰ってくるのだと思った。

帰省のたびに

 「よもやま日記」は年中無休と宣言したがために厄介な問題が生じることもある。一番はなんといっても帰省の折。
 秋田の家にもパソコンはあるものの、わたし以外に使う人間がいないので、その都度、インターネット使用の契約をし、横浜へ帰るときに契約を解除する。それが結構めんどうくさいのだ。今回も朝5時に起きて、父がもらってきたCD-ROMの案内に従い操作したのに、うまくいかない。結局係りに問い合わせた。
 ていねいに説明してくれるのだが、パソコンと電話の置き場所が離れており、なおかつ、モデムを切り替えることによっていずれか一方しか使えないため、インターネットに接続しようとすれば電話ができず、電話を掛けようとするとインターネットが使えない。オペレーターが親切に「こちらから携帯電話におかけしましょうか」と哀れみをもって言ってくれても、深山幽谷のこととてつながらず、いわゆる圏外。あれやこれや悪戦苦闘、2時間かけてやっとインターネットがつながる。もうへとへと。ふるさとでゆっくり休もうと思って帰ってくるのに、ふだん使わぬ頭を思いっきり使い、精も根もつきはてる。汗だくだく。もういや!!

夢うつつ

 今朝方、目が覚めたのは二時ごろだったろうか。かたかたかたかた。はじめは地震かと思った。このあいだも、ぐらりとくる三秒前に目が覚めて、「来るな」と思ったらすぐに来た。カラスやナマズでなくても、異変を事前に感知する機能が人間の体にも備わっているのかもしれない。予知能力といっても、たかだか三秒では話にならないが。
 耳を澄ますと、かたかたかたと鳴っているのは、外のものではなくわたしの奥歯だった。うっすらと開いた口の奥のほうで歯がぶつかる音がする。エアコンを「快眠」にセットしているのはいつものことだから、寒さのせいではない。実際、意識して奥歯を噛むとかたかたの音は止む。ほかに体の異変は感じられない。国道1号線を戸塚に向かう車か、折れて鎌倉方面へ向かう車かわからないが、遠くでエンジン音が聞こえる。夢ではなさそうだ。
 かたかたかたかたかたかた。奥歯の力を抜くとまた他人事のように鳴り出す。噛むと止む。五遍ほどそれを繰り返した。すると、かたかたかたかたかたかたと音をさせているのは、わたしではない気がしてきた。鳴っているのは確かにわたしの奥歯なのだが、鳴らしているのはわたしではない。
 わたしを呼ぶ声がする。かたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかた………………………………………………………
 ハッと目が覚めた。じっとり汗をかいている。白檀のお香の匂いが微かにしたから今度は本当のようだ。かた、と音がして横を見た。動悸が激しくなり耳に聞こえるほどだったが、遠くに聞こえるのはさっきと同じ車の音だけで、ほかには何も聞こえなかった。

新しい耳で聴く

 寺島さんの新コラム「たのしいジャズ入門」がいよいよ始まった。寺島さんは吉祥寺にあるジャズ喫茶「メグ」のオーナーで、ジャズ評論家としても名を成している。“売れっ子”なのだ。うちがなぜジャズ評論界の“売れっ子”と知り合いかといえば、稀代の名編集者、師匠・安原顯のおかげなのである。
 二人は、安原さんが編集したジャズの本に寺島さんが執筆したことがきっかけで仲良くなったそうだが、ジャズがもともと好きだった安原さんは、晩年、寺島さんの影響でオーディオに凝り出した。寺島さんは「オーディオはカネだ!」と喝破された人でもある。
 その寺島さんがジャズの名盤を独特の寺島節で紹介してくださるというのだから、おもしろくないわけがない。視点がハッキリしている。五十年前、十年前の耳でなく現在の耳、新しい耳で聴く、という視点。寺島さんのジャズ評論はそれに徹している。それと、自分が聴いてどう感じるか、自分はどう聴いたか、ということ。素直な耳、しなやかな感性、自分を信じるということがなければできない所作だ。ファンが多い所以である。
 さて今回紹介されている五枚だが、わたしもジャズ好きと自負しているが、聴いたことのあるものが一枚もない。一枚も…。これはどうしたことか。考えてみればあたりまえで、仕事柄から言っても寺島さんがジャズを聴く時間はわたしなどの比ではない。耳が肥えている。肥えた耳は古今東西のジャズをどう聴くのか。紹介されているCDからこれはと思うものを自分の耳で聴いてみるのも一興、これから次々に紹介されるCDに自分の好きなものが入っていたら、感じ方が同じか違うか確かめてみるのも楽しい。ジャズが好きな方、これからジャズを聴こうとしている方、どうぞ楽しんでいってください。

水の歴史

 写真家の橋本照嵩さんから電話が掛かってきて、北上川と馬についての話になった。
 北上市の馬市はつとに有名で、今回の写真集『北上川』には博労たちで賑わう馬市の様子が活写されている。その中の一枚に、腰を落とし後ろ足を踏ん張って力みなぎる圧倒的な写真がある。まさにホースパワー! こうでなくっちゃ。競馬をやる人には悪いが、日本の馬は母体はなんといっても農耕馬だ。乾いた土の上を歩く走るのと、ぬかる水田、苗代に踏み入りバランスを保ちながら歩き労働するのとではわけが違う。働く馬の美しい姿をとらえた稀有の写真。馬だけではない。相撲だって柔道だって腰を低く落として地面をつかむ。摺り足で歩く。阿波踊りはガニ股で上半身は波打つようなのに骨盤は水平に保たれ抜き足差し足で歩を運ぶ。歌舞伎で見栄を切るのだって大地をつかみ踏ん張ることでポーズが決まる。この日本ではとにかく足腰を踏ん張ることで独特の文化が形成されてきたのだ。好きな賢治の、どっどどどどうど どどうどどどう、も、祈りは天上へ向かわずに足下へ向かう。天も地もひっくり返せば同じことだ。
 そんなことを電話で話していて不意にある絵が思い浮かんだ。小出楢重の「支那寝台の女」。ぼくはあの絵が大好き。光の中で裸身がうねり、じっと見ていると、きらりと水滴が垂れてきそう。光り輝いている。画家というものは恐ろしい。大阪出身の楢重が初めて日本女性の力溢れる足腰の美しさを描いた。天才にしてなせる業ということか。寝台の上で物憂げに横たわっていても血と肉に刻まれた時間の長さは覆うべくもない。「支那寝台の女」はまさか農作業はしていないだろうが、瑞穂の国の女には間違いないのだから、何千年もの水の歴史が裸身にたゆとうている。ふむ。興奮してきた。
 写真集には、ぼくが勝手に「シャガールの馬」と名付けた馬の写真もある。母馬とだろうか、目を閉じて顔と顔を摺り寄せている。馬一つ取っても文化の両義性について思いを馳せ、何が大事と考えさせられる素晴らしい写真集だと思う。これで税込3500円は安いじゃないか!

テムズ川ウォーキング

 Tさん来社。映画会社で長くニュース映画をつくってこられた方で、若い時からイギリスに興味があり、会社を辞めたあと夢をかなえ、この度めでたくテムズ川に沿った三百数十キロの道を踏破された。
 小社から刊行している『テムズ川ウォーキング』を事前に読まれた。サブタイトルにあるように、『テムズ川〜』の著者岡本さんが歩いたのは、オックスフォードからウィンザーまでの120キロだが、Tさんはその三倍、とまではいかないがかなりの距離。
 どこどこの観光案内ということであれば極端な話、一冊あれば足りる。だが、実際に歩いてみれば、小さい悟りがそこここにあって、人の数だけ旅があり意味も違う。そこがおもしろい。
 テムズ川パスには、川から離れ少し内陸に入りこむと遺跡など見所もあり、それなりに楽しめる。そのうちのいくつかをTさんは見たが、あるとき、川のせせらぎを眺め、頬を撫ででゆく風に身をまかせているうちに、死んだ遺跡を見に行くよりも、いまこうしてゆったりとした時間のなかで生きて川面を見ていることのほうがより大事ではないかと実感したという。
 「ゆったり」ということがキーワードなのだろう。歩くこと、本を読むことも、ゆっくりゆったりがいい。(ク)