あって当然、なければおかしいわけだが、いままで見たことも聞いたこともない言葉に出くわすことがある。
ただいま編集中の刺青に関する本に「もどろく」という単語が出てくる。漢字で書けば、「斑く」「文く」。『大辞林』によれば、?まぎれる。まどう。?まだらにする。特に、からだに入れ墨をする。
知らなかったあ! 意味はもちろん、音としても初めて目にし耳にする。「おどろく」の間違いじゃねえの、と、チラと頭をかすめたが、辞書で確かめてよかったよ。こういうことがあるから、一字一句あだやおろそかにできない。あぶねえあぶねえ!
今日は火曜日。日曜日の午後、腕立て伏せをした。がんばったのに10回。わずか。その後遺症がまだひかぬ。両腕の付け根、胸の筋肉が痛い。10代の頃、こんなことはなかった。片腕で、とは言わぬが、腕立て伏せの10回や20回、へのかっぱ(古)だった。いつからこんななまくらな体になったのか。夢の中で必死に走っているのにちっとも足が上がらないのも無意識に体の衰えを察知しているからか。80歳の誕生日を迎えた演出家の竹内敏晴さんが三点倒立をした話を聞いたから、よけい落ち込む。
日本橋高島屋8階ホールで開催されているルネ・ラリック展を見てきた。パンフレットによれば、ルネ・ラリックは1900年のパリ万博で注目を浴びた宝飾家で、20世紀のはじめにガラス工芸に転向、1910年代から30年代のアール・デコ期を代表するガラスの巨匠として活躍した。
香水瓶、置時計、花瓶、立像、ブローチ、カーマスコット、常夜灯、ほかいろいろ。ガラスというと外界を隔てる透明で冷たい「窓」をイメージするが、それと全く反対の印象をはじめて持った。「バッカスの巫女」の微妙な色づきはどうだ。つくりたての飴のような蕩ける肢体がたゆたう。「ツタの台付裸婦」と題された立像や「スピード」と題されたカーマスコットに見られる裸婦の線と充溢する豊満な肉体は、ガラスという素材がその表現にとってもっとも相応しいものと思わされる。
この展覧会を企画監修された美術工芸史家の池田まゆみ氏が代表を務める日本ガラス工芸学会研究企画委員会編による、ヨーロッパガラス工芸技術の古典『ラルテ・ヴェトラリア』の本邦初訳を小社から刊行することになっている。
ルネ・ラリック展は今日まで。
ふと、三渓園に行ってみたくなった。原三渓(本名:富太郎)によって造られた庭園で、横浜の名所としてつとに有名。
初めて訪れたのは大学1年生のとき。通信添削で英語をみてもらっていたF先生に連れていってもらったのが最初で、わたしがなんとなく横浜で暮らすようになったきっかけが先生の印象によるところ大であったことは去年ここにも書いた。あの時以来何度も訪れている。
最近行ったのは、会社を起こした年だから6年前。専務イシバシは千葉からの通い、武家屋敷ノブコは東京からの通いで、保土ヶ谷の拙宅まで毎日来てもらうのがなんだか悪い気がして、それで、こんな名所もあるよというわけで誘ったのだったと思う。武家屋敷はニックネームのとおり金沢の出身で、すぐ近くにかの有名な兼六園がある。イシバシは九十九里出身で勇壮な絶景が目に刻まれているだろう。そのふたりに横浜の庭園がどんな風に映ったのかはわからないが、いまも別れずに仕事をしていることを考えれば、ふたりを横浜に引き留める何十分の一かの効果はあったかもしれない。
大きな池の周りを時計の反対回りにゆっくり歩き、程なくもと来た場所かと思う辺りに小さな島がある。涵花亭、かんかてい、という。涵は、ひたす、うるおう、うるおすの意だというから、情趣ある名ということになろう。そこに渡る小さな橋が観心橋といって、これまたなんだか意味深だ。こころが映るかと見れば、さにあらず、かなりの数の亀がのんびり泳いでいて、顔を覗かすものもいる。亀は万年というけれど、そんなに生きるはずはない。
横須賀の高校に勤めていた折、世話になった社会科の先生で三渓園がとても好きな先輩がいた。放送礼拝で三渓園の魅力について語り、いつの季節もそれぞれいいけれど、新緑の頃がいちばん好きとおっしゃっていた。その先生が数年前、鬼籍に入られたと知って驚いた。
久しぶりに訪ねてみようと思う。どんな顔を見せてくれるか楽しみだ。
おとといの午後、ノドにいがらっぽさを感じたので、おや? と思ったら、どうやら風邪だ。
きのうは早々に退社し、小料理千成へ直行、美味いものを食べてご主人のカッちゃんから薬をもらい、ビールで流し込もうとしたら、女将さんがサッとコップに水を入れ出してくれたので、腹の中でいっしょになるのにと思ったものの、せっかくのご好意、ちゃんと水で飲みました。帰りしな、珍しいタコの干物と朝食用のおにぎりをいただく。
家に帰って床に臥し、途中、眼が覚めたら体が熱っぽく汗をかいている。オムロンの体温計で計ってみたら37.8度。オムロンでなくても同じとは思うが。下着を取り換え、新しいのを身につける瞬間ぶるっと身震いした。汗を吸いこんだ下着は洗濯機へ。
熱にふさわしい夢をいくつも見たが、憶えていない。大した夢ではなかったのだろう。なじみの空とぶ夢でもなかったし。肩甲骨をガクンとゆるめ、神や仏でなく、ひたすら自分を信じてジャンプする、地上すれすれになってもぶつかると思ってはダメ、それが飛行のコツ。夢の中の話だ。
さくらの「さく」が「裂く」と語源的に同根であり、固いつぼみが「さか」れ、なかから歓喜の「らららら…」があふれだす、それが「さくら」なのだ、古代人の言語感覚の的確さにおどろく、という話を演出家の竹内敏晴から聞いたか本で読んだかして以来、この季節になり、パッと咲いた桜の木を目にするたび、立ち止まり見上げては、さくらららら… と、ひとりで口に出しては楽しんでいる。
「さく」という清音の緊張感、透明感、清潔感、モノクロの世界に対し、パッと、今風になら♪♪♪♪…とでも表記したくなる総天然色の「ららら」がおどりでる。ららららららら……。
「ら」は言いつづけると「ろ」に近くなったり「る」にちかくなったりしがちな音だ。つねにあたらしい「ら」が次からつぎへ生まれてこなければ、ほんとうの「らららら…」にはならない、とも竹内さんは言う。やってみるとたしかにそうだ。ららららららららろろろろろ…、となったり、ららららららららるるるるる… となる。油断しているわけではないのに、ふつうにしているだけなのに、閉じてしまう。油断も隙もない。新しく生まれることのイメージをこの季節、桜を見、「さくら」と声に出して発することで確認し体に刻みたい。
小社が入っているビルの斜め前が県立青少年センターで、ゴミが飛ばぬようにシートでカバーし改装工事をしてきたが、それがようやく終りにちかづいたらしく、紅葉ヶ丘の風情によくマッチし落ちついた色の建物が姿をあらわした。今週になって気温が上がり、そんなに多くはないけれど、丘のあちこちに植えられた桜は満開。週末まで持つのかどうか、今が盛りと咲いている。歩道を歩いていると桜の花びらが散って、これはこれで眼を楽しませてくれるし、遠くに見えるランドマークタワーも、変化するはずがないのに、ほかの季節とは違って見えるから不思議だ。変化するはずがないと書いたが、そうとばかりもいえないか。人づてに聞いた話で記憶が定かではないが、ある寺の西塔の修復工事にあたった大工によれば、東塔とでは高さが1メートルほど違っている。千年たてば高さがちょうど同じになる…。ビルがそんな時間に耐えられるとも思えないが、木ほどではなくても、時間による変性は免れないだろう。季節によってランドマークの見え方が違うのは、周りの風景とこちらの気分によるとばかりは言えないようだ。