対話の必要

 近刊『対話が世界を変える』の著者アンドレア・リッカルディさんは、本書の中で、対話が不可能である人々というカテゴリーをつくらないように注意すべきと仰っている。深い信仰がなければ言えない言葉だと思う。『新井奥邃著作集』完結を機に、対話をキーワードとした本の刊行が成ったことがうれしい。対話はもちろん人との対話もあるけれど、自然との対話、自己との対話、神との対話、いろいろだ。『日中教育学対話』(仮題)という本もシリーズで出すことが決定。

きりり

 このごろめっきり寒くなり、家の中は暖房が必要になってきたが、空気が乾燥するせいか見慣れた風景がくっきりしている。特に朝夕。
 昨日の夕陽は素晴らしかった。向かいの丘にある高校の体育館の窓に反射した光がきらきら輝き見飽きることがなかった。じっと見ていたせいで、部屋の中へ目を移したときには、真っ暗に見え、慣れるまでしばらくかかった。今朝、部屋着のままゴミ出しに外へ出た。冷たい水で雑巾を絞ったときのようにきりりと心地いい寒さに身が引き締まる。雲ひとつない快晴!

 今週の「よもやま」のタイトルは、なぜだか1文字なので、最後も1文字で締めくくろう。
 昨日、ある中学の女子生徒からわたしに電話があった。「今お時間よろしいでしょうか」「□□日と△△日にお世話になる**中学の○○と申します。よろしくお願いします。いくつか質問があるのですが、よろしいでしょうか」と、実に礼儀正しい。緊張が電話口から伝わってきて、わたしのほうがしどろもどろ。担当の先生から、電話をするときはこう言いなさいと指示されたのかもしれないが、それにしてもだ。電話の用件は、今月予定されている体験学習について、生徒本人からの事前の問い合わせ。出版社の仕事とはこういうものかと具体的なイメージづくりの手助けになれればと思うのだが…。

 ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がある。アルバムジャケットの写真は、四人のメンバーの周りを有名人が取り囲み写っている例のもの。さてその中に、今わたしが読んでいる『あるヨギの自叙伝』の著者・ヨガナンダ、その師であるスリ・ユクテスワ、ユクテスワの師ラヒリ・マハサヤ、マハサヤの師でヒマラヤの奥地に数世紀にわたって現存するという神人ババジが顔を連ねている。『あるヨギの自叙伝』には四人の写真が1ページ1枚ずつ口絵写真として収録されているから、これはどう考えてもビートルズのメンバーがこの本を読んでいたことの証左になろう。これまたびっくり!

 世界各国を旅して廻る女性のエッセイを校正している。シルクロードへの旅の途上、タクラマカン砂漠にてキャラバン体験なるものに参加したらしく、不安定なラクダの背中におっかなびっくり乗っている様子がコミカルに描かれている。その場面を校正していて気がついたのだが、れ。れという文字をじっと見ていると、あのとぼけた面をしたラクダが眼に浮かんでくる。れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、だと、切り立った砂漠の尾根をゆっくり進むラクダの隊商に見えてくるではないか。ね。

 11月に入りめっきり寒くなってきた。さむ、さむー、と身を縮かませているからよけい風邪を引きやすいのかもしれない。
 あわてて電車に乗りやれやれと思っていると、そばでごほんごほんと咳き込み風邪菌を撒き散らしている若者がいる。気付かれぬようにその場を離れドアの近くに逃れるのだが再びごほんごほん。見ると、今度は厚化粧と派手な衣裳が目立つ女性。嫌いではないが、風邪は困る。さらに遠くのドアのほうへ。このように、このごろは電車に乗ったからといってなかなか気をゆるせないのだ。

奥邃とヨガナンダ

 パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を少しずつ読んでいる。クリヤ・ヨガを欧米に伝えるべく遣わされたヨガナンダの生涯は物語として面白く、また、この世について深く豊かに教えられるようで、わくわくと子供に戻ったような気にさせられる。
 きのう読んでいたら、1枚の写真に眼が釘づけになった。「1920年10月ボストンで開かれた国際宗教自由主義者会議出席者の一部」とクレジットが入った写真。ヨガナンダの横に内ヶ崎作三郎が写っている。内ヶ崎といえば、奥邃を敬愛し、謙和舎の隣りに移り住んだような人だ。奥邃の身近にあって奥邃の生活ぶりからその思想を血肉化していたであろう内ヶ崎は、稀有のヨギ・ヨガナンダと何を話したろうか。何も話さなかったと考えるほうが無理だろう。話したとすれば何を。
 もうひとつ。ヨガナンダはサンタローザを歩いている。サンタローザは、奥邃のいた新生同胞教団のあった場所。偶然といえば偶然。必然といえば必然か。不思議だ。