散歩がてら

 暖冬とはいえ、寒さのせいで、気が付いたら蕾みたいに固くなり閉じこもってばかりいた。もうすぐ春だし、すこしシャキッとして外へ出てみようと思いたち、保土ヶ谷駅から横浜へ出、東横線に乗り換え渋谷へ、さらに銀座線。シートに座っているうちに自分の姿勢が気になり、覚えたばかりの蛹動を繰り返す。変な目で見られたってかまうものか。ふと見上げると、中刷り広告の和田アキ子、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチのポスターそっくり。気が滅入る。どうしたものか。外へ出たって空が見えると決まったわけでもなし、眼を閉じて慧中に意識を集めることにした。ところが頚椎2番の痛みが忘れられず、雲間から空が覗くかとの思いも束の間、意識は区もマ~みたいに途切れ途切れ、また閉じてしまった。それでも霞むまなこをいっぱいにあけ、通り過ぎる駅名をなんとか網膜に焼き付けようと試みるだけは試みたのだ。地下鉄の駅に降り立ち、階段を上って地上へ出たら、やはり空はどこにも見当たらない。雨で干せなかった布団の下に忘れてきたってことも、ない話ではない。

45d8d0cfe7a82-070217_1149~01.jpg

意味はなにかな〜

 木曜日の夜、中国禅密気功教室に通っているが、きのうは無料体験ということで武家屋敷も付いてきた。
 気功師の朱剛先生は横浜国大に留学経験があり、本も出しているというのに、話す日本語はお世辞にもあまり上手とは言えない。ホワイトボードにマジックで文字を書きながらの説明はふつうなのに、レッスンの最中にかける言葉は高音かつ独特のアクセントとイントネーションで、初めて聞く者は「ん?」と思う。特に笑い袋を腹に持つ武家屋敷のような人は大変だ。そう思ったから、彼女には事前に先生の発声を真似て慣れさせておいた。ところが、教室が終わって帰りがてら訊いてみると、可笑しくて可笑しくて笑いを堪えるのがやっとだったとのこと。もし事前に教えていなければ笑いが爆発していただろうと私は思ったが、彼女にしてみれば、事前に私から聞かされインプットされていたから余計に可笑しかったのだとか。「意味はなにかな〜」妙な言いまわしで先生は言う。たしかに可笑しい。笑ったら先生怒るかな。

思い出した!

 昼食の帰りしな「退院したHさんの友達、ほら、楽団の指揮者だった、だれだっけ?」と私。
「Sさんでしょ」と武家屋敷。
「Sさん。そうだ。そうか。下の名前、なんだっけ?」
「なんだっけ」
ということで、Sさんの下の名前は思い出せずにそのときは終わった。
 家に帰りテレビを見ていたら、いま流行の脳の話をやっていて、思い出せなくても、思い出そうとする努力が脳の活性化につながる、みたいなことを言っていた。Sさんの下の名前、なんだっけ? 結局、思い出せずに寝てしまった。そうしたら、夢のなかにSさんが出てきて、N専務の指示により私に言いにくそうなことをポツポツと言い始めた。N専務はそういう指示をよくする人だった。
 朝、眼が覚めたら、思い出していた。なんかいおとこ。南の海の男と書いて、なみお。そうだ。Sさんの下の名前はなみお、だった。

ダテマラ?

 以前勤めていた会社で一緒だったMさんから「ごぎげんよう」の電話があった。復刻中心の出版社でMさんは一日中コピーを取るかオペイクの仕事をしていた。オペイクというのは復刻ならではの仕事で、取ったコピーに着いた汚れをホワイトで消す作業。単調な仕事のせいか、視力のせいか(目が悪いのに、Mさんはメガネをかけたがらなかった)、Mさんはよくミスをした。「なんだよ、Mさん、またまちがってるじゃねーか」などと難癖をつけながらも、なんとなく気が合って、昼など外でよく一緒に食事をした。食事の後はコーヒー。いがぐり坊主のマスターがやっているあの店、まだあるだろうか。わたしは決まってブラジル。同行したコーヒー好きのSさんはコロンビアを注文。「Mさん、何にする?」と水を向けると、Mさん、メニューを目から5センチほどのところまで持ってきて、ううんうん唸ったかと思ったら、「だ、だ、ダテマラ!」?????????
 ダテマラ? あは、あは、あは、あはははは…。店内、爆笑のうず。ダテマラって、女だてらにそりゃないよ、Mさん。ガテマラだよ、ガ・テ・マ・ラ。
 メガネをかければいいのに、そうしないものだから、Mさんが起こした可愛いエピソードは今や伝説となり一部の人の間に残っている。耳たぶの大きな女性が髪をカットし耳が見えるようにして出社した折、Mさん、彼女に向かい「ずいぶん大きなイヤリングしてるわねえ」と大声を発した。言われた彼女、イヤリングはしていませんとも言えず、耳を隠し、目をぐるぐる回し顔を真っ赤にしていたっけ。

過去の体験

 演出家の竹内敏晴さんから新刊『声が生まれる』(中公新書)をいただいたので、休日、さっそく読んでみた。竹内さんの本は『ことばが劈かれるとき』から始まって、レッスンを含めすべて自伝のようなものだから、取り上げられるエピソードは旧知のものもある。しかし、竹内さんのすごいところは、読者がすでに知っているであろうエピソードについて読者に「ああ、あの話か」と思わせないところ。見事というしかない。
 「ああ、あの話」と、ふつうなら読書のスピードが増しそうになるところで、そうはならずに、むしろ居ずまいを正してゆっくりと味わうように読んでいる自分に気づく。読みは深くなり、また、視界が広がるとでもいうのか。ふ〜とたっぷり息を吐き、静かに息を吸って(竹内レッスンみたい!)「おわりに」を読んだら、竹内さん自身がこう書いていた。「過去の体験は、今生きている地点から射る光によって、新しい姿を現わす。」
 わが身を振り返っても、そのときどきに自分でこうだと思ってしたこと、意図せず、理由も分からずにしてしまったこと、いろいろあるけれど、後から後から新しい姿が現われ、うろたえたり慄いたり驚いたり。本当にそうだ。新書サイズながら濃密で、竹内さんの「今」に触れられる素敵な本。ありがとうございました。

広告

 創業間もない頃、清水の舞台から飛び下りるつもりで全国紙に百万円分の広告を打って手ひどい目にあった。広告で本が売れる時代ではないと肝に銘じ、以来、よほどのことがない限り、本を売るための広告は控えてきた。が、今月、性懲りもなく広告を打つ。本を売るためでないこともないが、そのことばかり考えていたのでは零細企業の小社が広告を打つのは大きな危険を伴う。だから、広告で本が売れれば儲け物のつもりで、むしろ、営業の拡販材料として。出版不況の折、十年にも満たない出版社が世間に認知してもらうのは容易ではない。それでも、こつこついい本をつくってきたことを知ってほしいし、今後進もうとする進路についても見てほしい。そのための広告。広告は一過性のものだが、目に見えての売上につながらなくても、会社の認知度を上げ、次の仕事につなげるために一役買ってくれればと願うのだ。と、そんなふうに自分に言い聞かせてはみたものの、おカネが無駄にならず、費用対効果を最大限にという涙ぐましい貧乏根性のなせる業かとも思う。

花を飾る

 このごろ花を飾るようになった。机の上、畳の部屋、居間。なんだか気持ちいい。休日、近くのスーパーで用を済ませた後などに、一束500円ぐらいのを買って帰り、いくつかある花瓶に分けて挿す。瞬間、ふわっと部屋が明るくなるようだ。多聞君のお母さんのお店ラヤ・サクラヤで求めたタイのアーティストがつくった馬の一輪挿しが気に入っている。それには黄色の水仙。仕事帰り、ついこのあいだまで酔っ払ってふらふら千鳥足で階段を上っていたのに、今は酒も飲まず、花のある部屋に帰るのをちょっぴり楽しみながら帰る自分を楽しんでいる。