一日七ページ

 虫の音のバトンリレーに歩を進め

『大日本地名辞書』(全八巻、各巻平均九七八ページ!)
の著者・吉田東伍は、執筆に十三年間かかったそうですが、
日曜・祭日もなく三六五日、
一日七ページ書いたというから驚きです。
それも、小説のような創作ではありません。
調べて書くのですから想像を絶します。
吉田は、大正七年一月、五十三歳の若さでなくなりましたが、
築地本願寺で行われた追悼集会で演説した
市島春城(いちじましゅんじょう)は、
十三年間で出来たというのはむしろ驚くべきことで、
普通は一生涯かかる大事業であると、その偉業を称えたそうです。
そうすると、吉田の部屋には万巻の書があったのではと想像しますが、
そんなことはなく、大きな机が一個あっただけだとか。
とにかく本を読むスピードと記憶力が並大抵ではなく、
どんな分厚い難しい本でも十日と借りたことがなかったそうです。
人から蔵書について尋ねられると、
自分は図書館を利用するから、持つ必要がない…。
く~、恰好良すぎて、真似できません。
天才というのはいるものなのですね。

 脛の毛を撫でて海まで秋の風

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椅子と辞書

 精神の残尿感か秋の宵

税理士の先生から経費を少し使ってもいいと
お許しが出ましたので、これ幸いに、
ノルウェーはホーグ社製のバランスチェア七脚と
小学館の『日本国語大辞典』(第二版)全十四巻を
会社用に買いました。
『日本国語大辞典』は日本のOEDとも称されるもので、
辞書好きのわたしとしては、前から気になっていました。
新品だと二十二万円もするところ、
「日本の古本屋」サイトで検索したら、
箱無しの揃いで十一万円というのが出ていましたから、
さっそく注文。一昨日、それが届きました。
適当にページを開いて、
細かい文字に焦点を定め読み始めると、
へぇ、そうなんだぁと、知らないことがつぎつぎ現われ、
発見の喜びに浸ることができます。
椅子も辞書も、出版社にとっては重要なインフラです。
昨日、「サイドビジネスとして塾経営に興味はありませんか」
という営業の電話が掛かってきました。
「本業以外に興味はありません」と、すぐに断りました。
塾をサイドの仕事として考えるということが、
そもそも気に入りません。

 鰯雲我れもものをおもふなり

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陽水さんの涙

 どこまでも滑り落ちそな秋の宵

NHKでの四夜連続『LIFE 井上陽水 40年を語る』のうち、
初回の放送を見逃し、見たいと思っていたら、
さいわい武家屋敷が録っていましたので、
借りてさっそく見ました。
せっかくなので、初回分だけでなく、改めて全部を、
といっても一度には無理ですので、三回に分けて。
いろんなエピソードがあって面白かったのですが、
粒ぞろいの代表曲を聴きながら、
ふと、陽水さんの歌というのは、
時は二度と戻らない、そのときどきの風景も感動も
どうしようもなく一回だけのものなんだよ、
ということを、繰り返し繰り返し歌っているような気がしました。
「心もよう」「人生が二度あれば」「ジェラシー」「青空、ひとりきり」
「いつのまにか少女は」「なぜか上海」「少年時代」…
思いつくまま並べましたが、どの歌も
時間の不可逆性が底にながれているように思います。
番組の中で、誰かが言っていました。
陽水さんのサングラスは、涙を隠すためのものではないかと。
ある時ある場所でのライブ映像が映し出されましたが、
「人生が二度あれば」を熱唱する陽水さんの頬には、
確かに汗とは別の液体がこぼれているようでした。
三回目の放送は、故郷が一緒のリリー・フランキーさん
との対談をベースにしたものでしたが、
その中で、陽水さんがこんなエピソードを語っていました。
ライブが終わって、スタッフ数名と飲みに行ったとき、
一人一人に女の子が付くようなお店で、
店の女の子が、陽水さんを指差し「あ! あ! あ!」と言ったそうです。
陽水さんは、自分が井上陽水であることを気付かれたかと勘違いし、
「ま、ま、ま」と両手で制したそうです。
すると、その女の子が、さらに陽水さんを指差し、
「あなた、ゲイでしょ!」
そのエピソードを紹介しながら、陽水さん、げらげら笑っていました。
リリーさんも愉快そうに笑っています。
陽水さんがますます好きになりました。

 新涼やバルタン星人襲来す

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今日の夢

 野分行き人も空も虚の気あり

高校の修学旅行のようでした。
グループごとに部屋に分かれ、荷物を片付けたり、
のんびりテレビを見たりしています。
わたしの部屋は、品川庄司の庄司智春さんと
暴力的なA君とわたしの三人です。
庄司智春さんは、修学旅行だというのに、
パトリシア・ル・コント監督の古い映画のDVDを持参しており、
それを三人で観ることになりました。
庄司智春さんは、その映画に関して調べたメモを数枚持っています。
よほどル・コント監督が好きなのでしょう。
いつもそんな風に下調べをしてから観るの?
とわたしが尋ねると、そうだと言います。
テレビで見る庄司智春さんとは少し違っています。
そのことを、わたしは知っているようです。
わたしは、いまの隙に、部屋を逃げ出そうと思いました。
わたしは、暴力的なA君が嫌いです。大嫌いです。
「ちょっとトイレまで」と言って立ち上がり部屋を出たのですが、
上がり框で振り返ると、A君がじっとわたしを見ています。
かまわずに、わたしは自分の履いてきた靴を探しました。
ところが何度見返しても、靴はどこにもありません。
A君が隠したのだと直感しました。
わたしは、やぶれかぶれな気持ちになり、
裸足で外へ飛び出しました。
そこまでやるとはA君は思っていなかったでしょう。
ほかのグループの人たちが町へ出て買い物をしたりしています。
ある生徒と宿の女将さんが会話をしているのが聞こえてきました。
その生徒は、卒業したら軍人になりたいと言っています。
女将さんはそれに応えて、立派な軍人さんになりなさいね、
と言いました。
わたしは、同期生でありながら、
立派な考えを持っている人だと感心しました。
それに引き換えわたしはといえば、
裸足で外へ飛び出したりなんかして、
行く先も分からず、きっとうまい就職先も見つけられずじまいに
なるような気がして、気が滅入りました。
それでも、庄司智春さんとA君のいる部屋には
二度と戻らないと心に決めました。

 台風過電気仕掛けの空青し

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アレキサンドリアの葡萄

 新涼やなにかいいことありそうな

知的障害児のためのラーニング・ボックス学習法
母の愛が奇跡を生む』を世に送り出した
よこはま児童文化研究所の原先生から葡萄をいただきました。
「マスカット・オブ・アレキサンドリア」というのだそうです。
エジプトのアレキサンドリア港から世界に広まったので、
この名が付いているのだとか。
日本でマスカットと呼ぶのは、
マスカット・オブ・アレキサンドリアのことなんですね。
長いので、オブ・アレキサンドリアを取ったのでしょうか。
送っていただいたこのマスカット、いや、
マスカット・オブ・アレキサンドリアですが、
種無しで皮ごと食べられます。
説明書に、そう書いてありました。
種をいちいち取り除く手間がなく、
皮を剥く手間もいらないとなると、
なんぼでも、ほいほい食べられます。
見る間に減っていき、枝が現われました。
このマスカット、日本では9割以上が岡山で生産されているそうです。
知りませんでした。

 新涼や恋の手紙を書かまほし

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スズメとハマグリ

 し残した仕事ばかりが秋の宵

坪内稔典さんの『季語集』を読んでいたら、
面白い季語について書いてありました。
「雀(すずめ)海に入りて蛤(はまぐり)となる」
十六字もあります。
俳句は五・七・五で十七字ですから
残り一字しかありません。無理!
なので、ふつうは、「雀蛤になる」と縮めて用いるのだとか。
言われてみれば、スズメとハマグリって色や形がなんとなく
似ている気がします。
子どもの頃、一番下の叔父さんが空気銃で撃ち落した雀を
祖父のトモジイが焼き鳥にしてよく食べさせてくれました。
こんな美味しいもの世の中にあるかと、ばくばく食べたものです。
数年前、叔母さんから聞いたのですが、トモジイは、
美味しい胸肉の辺りは孫の私や弟にくれ、
頭とか足なんかのどうでもいいような部位を
自分の子にあげたというのです。
孫にはかなわないと、叔母さん、ちょっぴり哀しかったそうです。
村上鬼城の句に「蛤に雀の斑(ふ)あり哀れかな」があります。
あんな美味しい雀は食えなくなったけど、
その代わりといってはなんですが、わたしは、
焼き蛤も大好きです。炭火で炙った蛤がパカッと開いたら、
醤油をちょっと垂らします。
えもいわれぬいい香りが立ちのぼってきます。
わたしの場合、風流よりも食い気です。
焼き蛤(はま)に雀の味を思い出し、てか。

 野分の日口をへの字の候補人

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陽水さん

 新涼やけふのちからをあたへてよ

「LIFE 井上陽水 40年を語る」
NHK教育テレビで四夜連続で放送されました。
惜しくも一回目を見逃しましたが、あとは見ました。
陽水さんがジョン・レノンやボブ・ディランについて語る
語りが面白かったです。
とくにジョン・レノンについての語りが印象に残りました。
正確には覚えていませんが、
彼の声というのは独特で、
一人では生きられない子どもが、
大人たちにこっちを向かせるような、
深読みかもしれないけど、そんな声に聞こえた…。
陽水さんは三十代のころ、
作家の色川武大/阿佐田哲也のところに
入り浸っていたそうですが、
昨日の番組の最後のほうの陽水さんは、
なんだかとっても阿佐田哲也に似ていました。
顔が似てくるほど影響を受けたということでしょうか。
それとも、もともと似ているものがあったから、
響きあったのでしょうか。

 新涼や又三郎の空を見る

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