ブルーカットレンズ

 

・デロンギの温さ恋しき朝ぼらけ

最初は多聞君でした。
パソコンや携帯電話からはブルーライトが発しており、
それが目の疲れの原因となり、
ブルーライトをカットするメガネに換えたら、
疲れ方がまったくちがい、
疲れが取れたと教えてくれたのは。
度の入らぬメガネなら、
フレーム込みで4~5000円から。
「疲れ方がちがうと体で感じるの?」と、わたし。
「体で分かる」と多聞君。
社内では、編集長の内藤君が使い始め。
「どう?」
「週五日働いているのに、四日ぐらいの感じです」
なぬっ!?
人によって、表現もいろいろ。
わたしは、
今つかっているメガネのフレームが気に入っているので、
レンズだけ
ブルーカットのコーティングをしたものに換えました。
ズバリ!
首から肩にかけての痛みが翌日から取れました。
これはいい! ってんで、
在宅で入力から組み版までお願いしている
Mさんに教えたところ、
さっそく新宿のメガネ屋で求め、
掛けてみたら、
いつもなら仕事が終ると気持ち悪くなるのに、
それがなくなったと喜んで電話をくれました。
わたしは役に立つ情報を教えただけですが、
うれしくなりました。
ということで、
パソコンを長くつかう方にはお勧めです。
多聞君ありがとう!

・五十過ぎ痛み隠して笑ひけり  野衾

他者と自己の理解のために

 

・懐かしき人を夢見て呆けたり

二年半かけて編集した
『異文化コミュニケーション事典』が、
ようやく完成しました。
項目数727、執筆者155名、650ページの、
異文化コミュニケーションに関する
日本初の本格的な総合事典です。
世はまさに、
異文化との接触に明け暮れています。
家庭の中から国際社会まで、
理解が成り立たないことの背景に、
文化のズレが厳然として存在することに気づかされます。
ためしに思いつくまま項目を拾い眺めてみました。
「あいづち backchannel」
日本人は、
人の話を聞くときにあいづちを打ちますが、
この言葉の説明から入り、
日本人とアメリカ人では、
話を聞く際のあいづちの頻度が異なり、
その度が過ぎると、
思わぬ誤解を生じることが実例をもって記されています。
コミュニケーションについて本気で困っているのは、
大人だけではないはずです。
子どもから大人まで、
他者を理解し、
それを通じて自己を深くとらえ、
よりよいコミュニケーションを成り立たせるために、
一家に一冊、
大辞林の横に置いてはいかがですか。

・眼が覚めて金も仕事も忘れけり  野衾

柳葉魚

 

・浸かりきり夢に現る源氏かな

柳の葉みたいな魚といえば、
そう、シシャモ。
柳葉魚と書いてシシャモと読みます。
炙ってたべると香ばしく美味しい。
このごろは本来のシシャモが少なくなり、
市場に出回っている九割ほどが、
カラフトシシャモ
またの名をカペリンとかいうものらしいのですが、
どちらも美味しいですから、
わたしはそれほど拘りません。
しかし寿司屋などで、
これは本物といわれて、
それなりの皿にのせて出されると、
本物といわれた分だけ
気持ち美味しく感じられもしますが。
それはともかく。
この柳の葉みたいな魚のシシャモ、
なぜシシャモかといえば、
アイヌ語のススハムに由来するのだそうです。
ススハムは、アイヌ語で柳の葉。
ススハム→シシャモ、
知らなかった!
そうだったんですね。
一つかしこくなった気分。
角川書店編『合本俳句歳時記 第三版』に
書いてありました。

・理科教師焼いた柳葉魚にそつくりで  野衾

オブセッション

 

・都心にて井川の人と語りける

拙著『マハーヴァギナまたは巫山の夢』を
読んでくださった方から感想を寄せられ、
書くことの快と不思議を噛みしめています。
小説を書いたつもりが、
本が出来上がり、
改めて一読者として読んでみると、
ふんふんふん、
つたない魂の遍歴記録、
告白録のようでもあり、
気恥ずかしくもなりますが、
中途半端に薄めずによかった、
とも思います。
たけしにとっての
アウトレイジみたいなものかもしれません。
おかげで、
いまは小康状態とでもいうのか、
春日のようにぽかぽかと、
割と気分のいい日が続いています。
なのに、
たまに溜息がふ~とでて、おや?

・春の日や新宿紀伊国屋書店前  野衾

ハタハタ寿司

 

・辞書中に金玉火鉢の懐かしさ

正月、秋田に帰る楽しみの一つに、
ハタハタ寿司を食べることがあります。
祖母が亡くなり、
今はもっぱら父が作っています。
子どものころは、
さほど美味いと思いませんでしたが、
そこが郷土料理の強み、
持ち味とでもいうのか、
寒さを体感するほど、
反射的に食べたくなるようです。
この正月も
秋田でたっぷり食べたのに、
まだ食べたりず、
先週父に電話して、
「ハダハダじし、おぐってけにゃが?」
「あはははは…。そんだにうみゃがったが?」
「うん。うみゃがった!」
「んだば、米どいっしょにおぐってやっから」
というわけで、
きのうの晩も、ハタハタ寿司。
もうひとパック冷蔵庫に入っています。
うひょひょひょひょ。

・弁当の具が蘇り蓋を開く  野衾

酔う

 

・ダニ食ふて壁に張り付く冬日かな

食事のとき、
いっしょに少しだけ酒を嘗めると、
美味しい。
若いときは、
少しだけにとどまることなく、
飲んで酔うことが目的のように乱暴に飲んでいました。
呑んで酩酊した果てに、
何かあるような気がしましたが、
気がしただけで、
なにもありませんでした。
鏡に向かっても、
酔っ払った自得の顔に、
真理のかけらは見えません。
見たのは、
ガニマタオヤジの〈 〉だけ。
でも翌日の夕方になるとやっぱりなにかある気がして、
勇んで泥のなかを泳ぐ具合。
ちょっぴりなつかしくありますが、
自慢できることではありません。
自堕落。
からだに、
あのころのことを忘れてしまえと願うのみ。
先日、
中条省平さんにお目にかかったとき、
すてきなワインの飲み方を教わったので、
きのうさっそく試し、
すこし嘗めてみました。
美味しかった。

・夢に見た劇団員の疎ましさ  野衾

紫式部と聖書

 

・一月の日をていねいに過ごしたり

このところ源氏物語をずっと読んでいますが、
作者の紫式部についてあれこれ想像し、
しているうちに作者が身近に感じられてもきます。
なにによらず
長編小説を読むと、
そういう特典が付いてきます。
このごろ勝手に思うのは、
ありえない想像ですが、
もし紫式部が聖書を読んでいたら、
どんなふうに読んだだろうかということ。
このひとの想像力、感性、洞察力、
明晰さをもって
聖書を読んでいたら、
どんなふうに読み解き、
何を感じ取ったでしょう。
信仰をもったでしょうか。
たとえば、
「マタイによる福音書」六章三四節。
きっと目を留め、
見過ごしにしなかった気がします。

・読書中現れ出でり冬の蜘蛛  野衾