我がやどの 毛桃の下に 月夜さし 下心よし うたてこのころ
萬葉集を読んでいると、
「毛桃」という単語が何度かでてきます。
毛桃とは、
「柔毛(にこげ)の密生した実のなる桃の木」であると、
「新潮日本古典集成」の『萬葉集 三』に語釈が載っています。
さらに、
「我がやどの毛桃」については、
「わが家の娘を譬えた。ここは女陰をもにおわす」との説明。
「月夜さし」は、
「娘に月水(初潮)の現われたことを譬えた」
「下心よし」は、
「心の奥底でひそかに満足感を味わうさま」と。
「うたて」は「なぜか、奇妙に」
この歌はまだわが家の娘のことなので、
それほどでもないですが、
男女の恋愛の歌において「毛桃」が登場すると、
さらに意味深になってきます。
学校教育も時代とともにどんどん変化しているようですが、
このたぐいの歌は、
ちょっと教科書にはなじまないか。
・厨より寂しき香せり菊膾 野衾
飯田蛇笏の句集『心像』に、
洗ひ馬脊をくねらせて上りけり
という句が入っています。
蛇笏は1885年生まれですから、
昭和17年作となれば、57歳でしょうか。
この句を目にしたとき、
川で体を洗ってもらった馬の、道に上がってくる姿がありありと目に浮かびました。
蛇笏はその頃実際に見たのでしょう。
しかし、
数十年の時を経てこの句をいま目にするとき、
わたしが子どもの頃に見た馬が目の前に現れるような気がします。
それからこうも思いました。
写真や記録にはのこっていなくても、
思い出を
過去のものとしてではなく、
現在において詠むことはできる、
言葉を用いてならそれが可能なのだなと。
川で体を洗ってもらった馬は、
ほんとうに背をくねらせて川べりの道に上ってきます。
「けり」も効いているなぁ。
・東(ひむがし)の秋を彫りだす暁烏 野衾
NHKのニュース番組でよく見る気象予報士の関口奈美さん、
おっとりたれ目パンダでかわいいわけですが、
見るたびに、
着ている服が変わります。
すごいなぁ、
いくつ持っているんだろう?
ぎもんがもたげて以来、
あしたの天気よりもそっちのほうが気になりだした。
あいだを置いて前に着た服を身につけるのか
と思いきや、
いまのところ
「あ! この服見たことある!」
と気づいたことはありません。
ぜんぶ自分の持ち物なのだろうか?
それとも専門のそういう貸衣装屋があるのだろうか?
もしぜんぶがじぶんの持ち物だったら、
家んなかが本以上に服であふれかえっているんじゃなかろうか。
服代たいへんだろうな。
ひとごとながら、
そんなことを考えると夜も寝られません、
なんて。
・灯火親しページ繰る音のみしたる 野衾
今月二十五日がわたしの誕生日で、
その日の夜に義理の姪っこから電話がありました。
六十二歳になった感想を訊かれ、
気持ちが
子どもの頃とあまり変わらないのに、
からだの衰えは如何ともしがたい、
みたいなことを口にした。
電話を切った後、
ふとんに横になってつらつら考えているうちに、
ふと気づいた。
十代二十代の頃は、
こころがからだに埋まっていた。
餡子のような。
それがいつの頃からか、
この頃は、
こころがからだを覆っている。
テレビで一枚の写真を示し、
ある箇所が少しずつ少しずつ変化し、
さいごはだれがみても大きく変化している、
さあそれはどこでしょうか?
というようなクイズがありました。
あんな感じ。
からだに埋まっていた餡子が、
いや、
こころが沁み出し、
いまではからだを覆い、
だけでなく、
見るもの聞くものなんでも世界を包んでいる。
そんな感じでしょうか。
・誘はれて月見宴(うたげ)の座頭かな 野衾
商品三連発。
こんかいは丸彦製菓の揚いそべ。
おかきを海苔で巻いたこの種のものは他にも多くありますが、
このごろよく行く「こけし」の女将さんご推奨
とあっては
買わないわけにはいかない。
食べてみて
一度で好きになりました。
カリッと齧ったときは
ふつうの海苔巻きおかきのようですが、
だんだんだんだん米の旨味甘味が口中に広がってきます。
さらに揚げの香ばしさも加わって。
丸彦さんのキャッチコピーがふるっている。
「一粒から始まる夢とロマン
大地の恵み〝お米″その一粒一粒に夢を託して夢を広げる企業です。」
なるほど。
なっとく!
きょうはこれを会社に持っていって社員にふるまおう。
・秋の水富士をうつして閑(しずか)なる 野衾







