日に日に老人になってまいりまして、
あれこれと、いろいろ考えることがあるわけですが、
すこし落ち着いた老人になろうと思い立った、わけではないけれど、
老老つながりで、
『老子』をぽつぽつ読んでいましたら、
こんな箇所に出くわして、
思わずふき出してしまいました。
徳を含むことの厚き者は 赤子《せきし》に比《くら》ぶ。
蜂蠆虺蛇《ほうたいきだ》も螫《さ》さず、猛獣も拠《おさ》えず、
攫鳥《かくちょう》も搏《う》たず。
骨弱く筋《きん》柔《やわ》らかくして握《にぎ》ること固し。
未《いま》だ牝牡《ひんぼ》の合《ごう》を知らずして而《しか》も全《ぜん》作《た》つは、
精の至《いた》りなり。
終日号《な》いて而も嗄《か》れざるは、和の至りなり。
全作つ。ぜんたつ。蜂屋邦夫さんの訳では、こうなります。
豊かに徳をそなえている人は、赤ん坊にたとえられる。
赤ん坊は、蜂やさそり、まむし、蛇も刺したり咬《か》んだりせず、
猛獣も襲いかからず、猛禽もつかみかからない。
骨は弱く筋は柔らかいのに、しっかりと拳《こぶし》を握っている。
男女の交わりを知らないのに、性器が立っているのは、
精気が充足しているからである。
一日中泣きさけんでも声がかれないのは、和気が充足しているからである。
なんだかナンセンス漫画の図が脳裏をかすめるわけですが、
なんたって老子ですからね。
老子を勧める人って、
世俗のことにあまりかかわらず、
春風駘蕩の風情を醸しだしている、
そういうイメージがありますが、
たしかにイメージ通りの文言もあるにはあるけれど、
わたしとしては、
引用したこういうところこそ、若いときに教えて欲しかったと思う、
きょうこの頃ではあります。
・尻端折りして家々へ夕立かな 野衾