デパートのにおい

 

せんだって、エスカレーターに乗っていたら、
すぐ横を、
髪の長い女性が静かに歩いて下りていきました。
ほのかにいい香りがし、
不意に昔の記憶がよみがえりました。
子供のころ、
まだ若かった父と母、それに弟、
四人で「秋田さ行ぐ」のが、いちばんの楽しみでした。
わたしのふるさとは秋田県なのですが、
「秋田さ行ぐ」の秋田は、
地理的な意味でなく、
動物園があり、まんぷく食堂があり、木内デパートがある秋田駅周辺のことであって。
「秋田さ」の「さ」は、
方向を指し示す助詞。
「秋田さ行ぐ」と言ったときの、
あの、うきうきした気持ちを、いま何と比較し、どう表現していいものか、
分かりません。
木内デパートに入るとき、
少し緊張したものです。
さーっと明るい光が降り注ぎ、床は、どこもかしこもぴかぴか。
それと、いいにおい。
土や緑や山や川に親しんでいる子供にとって、
木内デパートは、
いわば、
あこがれの都会そのものでした。
秋田出身の三人でつくるフォークグループ「マイ・ペース」の
リード・ボーカル森田貢さんが、
今年六月に亡くなりましたが、
ヒット曲「東京」で表現される東京的なもの、
「美し都」「花の都」東京を、
木内デパートは無言で垣間見せてくれていたと思います。
あっという間です。

 

・夏草や伸びてここまで蔓の先  野衾