きのうの日曜日、
『アラン『定義集』講義』の著者、米山優先生とオンラインでの対談を行いました。
『アラン『定義集』講義』は、
米山先生が名古屋大学において、
2017年の定年まで、
十年余りにわたり行った講義草案を基にまとめられた本です。
いまから三年前にこの本を買って読み、
とてもおもしろかったので、
本を出版している版元経由で、対談をお願いしたところ、
快く引き受けてくださったのですが、
新型コロナの影響により、
延び延びになっていました。
対談の内容は、次号『春風新聞』に掲載予定です。
対談は午後からでしたが、
午前中は、
マンションの総会があり、
それに出席しました。
議案の一つに、
【オンラインによる総会等の運用承認に関する件】
があり、
はぁ、いまどきだなぁ
って思いました。
体を運ばなくてもできることは、
体を運ばないでする、
そういう時代がきたようです。
体をどこに置くか、
メリハリを感じる今日この頃でありますが、
必然的に、
ひとりの時間が多くなります。
『アラン『定義集』講義』のなかに「礼儀」の項目があって、
礼儀といえば、
自分以外のひとを想定するのがふつうですが、
自分に対しても礼儀正しくあることの要諦が論じられています。
中国の古典『大学』の「慎独」に通じる考え方
であると思います。
なぜ自分に対して礼儀正しくあることが大切か。
いろいろ考えさせられますが、
その言葉から連想するのは、
ゴーゴリの『死せる魂』のなかの、
「ひとは一人になると何をするか分からない」
という言葉。
場所の制約がかつてほどでなくなるにつれ、
自分への礼儀正しさについて考えさせられる場面が多くなりました。
・さき旨し丸もまた佳しどぜう汁 野衾