魔法の椅子

 

朝のルーティンはこのブログを書くこと、サイフォンで珈琲を淹れること、
それと読書。
三つのうち一番長くつづけているのが読書ですが、
二十年ほど前に、
思い切って、
少し高価なアーム付きリクライニング型ソファを購入しました。
専門店に足を運び、
いくつも実際に座ってみて、
これだというものを選びました。
古今東西の、
とくに意識して古典を読んできましたけれど、
ふり返れば、
この椅子のおかげが多分にある
気がします。
数年前、
膝の裏が当たるところが擦れ革が薄くなってきたので、
修理の業者の方に来てもらい、
修繕しました。
長く使ってきて、気になったり、ストレスがかかることが全くありませんから、
この椅子がわたしの読書には最適なのでしょう。
ありがたいことです。
いま手元にありませんが、
長田弘さんの『読書からはじまる』を読んだとき、
ページを割いて椅子のことが書かれてあり、
とても共感しました。
自分の体に合った椅子は、
読書には欠かせません。
何時間でも(たまに居眠りすることもありますが)
座りつづけられる椅子があれば、
いつの時代へも、
構造物や制度に遮られることなく、
どこへだって思いのままに飛んで行くことができます。
わたしにとってこの椅子は、
魔法の絨毯ならぬ、
魔法の椅子。
だいじに長く使っていこうと思います。

 

・禿頭に手拭い露天風呂に雪  野衾

 

新聞のある暮らし

 

きのう、秋田魁新報文化欄に拙稿が掲載されました。
秋田魁新報は、
1874(明治7)年2月2日に「遐邇新聞」(遐邇=かじ、遐は遠い、邇は近いの意)
として秋田市で創刊された新聞。
なので、
きのうは創刊の記念日。
二年ぶりとなる帰省のことから始めて四つのエピソードを書きましたが、
字数の関係もあり、
四つ目を削らざるを得なくなりましたので、
元原稿のタイトルのままの拙文をご紹介します。
ご笑覧いただければうれしいです。
ちなみに、きょうは節分。
関係ないか。
それはともかく。
コチラです。

 

・吹雪の校庭薪負ふ金次郎像  野衾

 

森鷗外の頭

 

小倉斉(おぐら ひとし)先生の『森鷗外、創造への道程《みち》』が出来ました。
全国の書店に届くのは、来週ぐらいでしょうか。
原稿を読んでいておもしろく感じたのは、
いまでこそ明治の文豪の代表格みたいな鷗外ではあるけれど、
鷗外にグッと寄ってみれば、
わき目もふらず堂々と我が道を行く、
という風では決してなく、
時代の思潮を鋭敏に察知し、
取り入れ、
思索と思考を重ねながら、
ときに悩みつつ創作していたということ。
校正の途中で、
森茉莉のエッセイ「父の帽子」を思い出しました。
鷗外といっしょに帽子店に入ったときのエピソードが記されているものですが、
鷗外はすこぶる頭が大きく、
店の人が持ってくる帽子のサイズが合わず、
大きいサイズのをくれとはよう言わず、
「もう少し上等の分を見せてくれ」
とかなんとか。
その辺の細やかなニュアンスに、
父を思う娘の情愛が籠められているようで印象にのこっています。
鷗外の創作の道程が、
わたしのなかで、
「父の帽子」のイメージと重なってきましたので、
そのことを著者に伝え、
了解を得た上で、
装幀家の毛利一枝さんに話しました。
結果、
こういう本に仕上がりました。
さて、
ここからは、全くのわたしの想像です。
森鷗外の本名は森林太郎であって、鷗外はペンネーム。
なぜ鷗外か、
いろいろ説があるようです。
どれもそれなりに、ふむふむと了解できますが、
けさ、
目を覚ました時に、ふと、ある考えが脳裏をよぎった。
鷗外というペンネームには、頭の大きさが関係しているのではないか?
鷗外の頭は通常より相当デカい。
帽子は、
見方によっては頭に被せるフタのようなもの。
ときに鷗外は、小さなことにもひどく怒りっぽいところがあったようだし。
怒りのるつぼ。
なので、大きいフタが必要になる。
フタを漢字で書くと蓋。
音読みするとガイ。
大きい帽子=大きいフタ=大蓋、すなわち、オオガイ。
これだーーーッ!!!
てか。
ちがうか。
でも、
ひょっとしたら、
あるあるじゃないか。

 

・雪しんしんと水は滔滔と逝く  野衾

 

経験を通して

 

誠に「我が眼の洪水は神に喜ばれる供物」である。
神はその恩恵を之に映して七彩の虹をかけ給う。
幸なるかな、滝つ瀬の如く汝の涙をその溢れ出ずるに任せ、
「何時まで、何時まで?」「何故、何故?」
との泣願を神に為したる事ある者。
かかる者は神に慰められるのである。
嘗て私(矢内原)もこのアウグスチヌスとほぼ同じ年齢の頃、
浅間山麓の小山を溶かすかと思われるばかりに眼の洪水を溢れさせ、
「神様、どうして? 神様、どうして?」
と叫びつつ、
山を叩かんばかりに幾度となく下っては上り、
上っては下って居た。
然るに見よ、
私の心は突然軽くなり、涙の泉は立ちどころに止まり、
次の瞬間には微笑さえ私の唇に浮んだ。
その如何にしてかを私は知らないけれども、
私の心に平安が与えられたのである。
私は神の赦を讃美しつつ、山を下ったことを告白する。
(矢内原忠雄『土曜学校講義 第一巻』みすず書房、1970年、p.184)

 

仏教でもキリスト教でも、文章を読んでいて、迫力に打たれ、
血が通っていると感じられるものに触れると、
おしなべて、
こういう経験に裏打ちされていることに気づきます。
たとえば、親鸞、白隠にして然り、
パウロ、アウグスティヌス、マザー・テレサ、田中正造にして然り。
矢内原の文章の迫力も、
上に引用したような経験あったればこそと納得。
ひとつ気になったのは、
比喩。
涙を表すに
「浅間山麓の小山を溶かすかと思われるばかりに眼の洪水」
アウグスティヌスもそうですが、
眼の洪水だもん。
ダ~~~!!
山の上り下りを表すに
「山を叩かんばかりに」
デンデンデン、ザクザクザク、どんだけ強く踏みつけたの。
笑いが好きなわたしは、
これを比喩でなく、
事実としてマンガに描いたらさぞおもしろいのではないか、
などと不謹慎なことを思い浮かべ。
でも、
それぐらい強烈な体験だったんでしょうね。
あ。
きょうから二月。

 

・秋田出でいつか近江の春と逢はむ  野衾