つげ義春のキリスト

 

仏教の原点はリアリズムで釈迦は凄いリアリストだと思えますね。
でも自分はキリストも好きなんです。
後のキリスト教団は嫌なんですけど、イエスの言葉は深いなあと思って。
一例を挙げると、
「貧しい人は幸いである、神の国はあなたがたのものである」
という言葉に出合ったとき、
直感ですぐ理解できたのですが、
後年の研究では貧しい人とは「乞食」のことだったのですね。
乞食は社会の枠組みからはずれ、関係としての自己から解放されています。
自己意識も消えて、生も死も意識されることがなくなり、
生きていることの不安も消える、
その状態こそが神の国、天国ではないですかね。
(つげ義春、山下裕二、戌井昭人、東村アキコ『つげ義春 夢と旅の世界』
新潮社、2014年、p.33)

 

『ガロ』の時代のつげ義春は知りませんが、
ていうか、
『ガロ』を買ったことはありませんでしたから、
『ガロ』とは別に、
つげ義春さんの漫画やエッセイを好きで読んできました。
病気をしたとき、
ゴソッと本を売って、
つげさんの本もそのなかに相当入っていたはずです。
なのに、
ふつうの状態に戻ると、また、なんとなく読みたくなって売ったものを買ったり、
新編集のつげさんの本を買いますから、
けっこうつげファンかも知れません。
つげさんを読みたくなるのは、
なんとなく、
疲れているときのような気もします。
もちろん、わたしの場合です。
疲れとは関係なく、つげさんのファンはいっぱいいるでしょう。
引用した箇所に「関係としての自己」
という言葉がありますが、
バランスを欠いて「関係としての自己」に向きすぎ、
重くなるときがあります。
大峰千日回峰行を満行した塩沼亮潤さんは、
「たいへんな行であったけれども、思い返せば、自分一人でできる行だったので、できた。
むしろ難しいのは人間関係ではないでしょうか」
とテレビで語っていました。
精神医学の根本は対人関係論である
と喝破したハリー・スタック・サリヴァンともひびき合い、
つげさんの本はおもしろく、
なんどでも読みたくなります。

 

・小さき庭なれど鳥よぶ梅の花  野衾