会社をつくって半年遅れで始めたこのブログ、
アップするのに、
平均して約一時間かかります。
たとえば、
本からの引用は正確でなければいけませんから、
入力後、一字一字、三回は元の本と照合することを自分に課しています。
それでも間違うことがあり。
引用がない場合はどうかといえば、
雑文ではありますが、
読んでくださる方がいますので、
改行、句読点の位置、てにをは、単語の選択、
いろいろ修正を加えているうちに時間はたちます。
日々のこの行為と時間が、
本を読むときにも、少なからず影響していることに気づきました。
ただいま片桐洋一さんの『古今和歌集全評釈』
を読んでいますが、
一首ごとに【要旨】【通釈】【語釈】【他出】【鑑賞と評論】
のほかに、
【校異】の項目が設けられ、
一首のなかの単語が、
写本によってどういう風に違っているかが具体的に示されています。
これがすこぶる面白い。
時代からいって印刷はまだ無く、
当時の人は、いちいち手で書いて写したわけですから、
微妙に単語が違っていても、
おかしくありません。
なぜ違うのか。
それを想像すると楽しい、
というか、面白い。
単純に書き写すときのミステイクということもあるでしょう。
でも、
元々の単語はそうだけれど、
こんな風に直した方が絶対いいだろうじゃないか、
というような、
写字生の、無意識の(あるいは意識的な)気持ちが働いたことはなかったか。
あったかもしれない、いや、絶対あっただろう。
そういう想像が働くのは、
このブログを書くことによって培われた癖によるのかなと。
そんなことを考えているうちに、
思い出したことがありまして。
わたしは若いときから宮沢賢治が好きで、
賢治、介山、奥邃
への興味は、
「南無妙法蓮華経」のお題目のように、生涯変ることはないでしょう。
さて、かつて、
筑摩から出ている『校本宮沢賢治全集』を求め、
一巻から順に、
それこそ、
蚕が桑の葉を食むように読んでいった時期がありました。
その後、身辺俄かに動きが生じ、
お金がなくなり、
同僚で、知り合いの先輩に買ってもらいました
が、
のちにまた、
売った先輩に頭を下げて買い戻したり、
と、
それぐらい愛着がありました。
ひとつ、
当時、それほど意識しなかったのが、
『校本宮沢賢治全集』の「校」。
この「校」は、校異の「校」、「校正」の「校」でありまして、
作品の初期形や先駆形を掲出し、推敲異文のすべてが分かるようになっている。
いくら賢治が好きといっても、
校異にはそれほど、
いや、全くと言ってもいいぐらいに興味がありませんでした。
それが「待てよ」
となったのは、
このブログを書くようになって、
また、日々の編集作業、
とりわけ校正作業によって、
書くことの「現在」に思いを馳せることが曲がりなりにも、
できるようになったからかもしれません。
なのに。
その後、四十代後半のとき、病気を患い、
もう読むことはないだろう
と思って
『校本宮沢賢治全集』を再び手放した。
ん~。
ん~。
古書でいくらくらい、
くらいかな?
なんてことを考えていたら、
なんと、
かなり前に
『校本宮沢賢治全集』でなく
『新校本宮沢賢治全集』が出ているではありませんか。
前のとどこが違うかといえば、校異部分が独立し「校異篇」として分冊になったこと。
これで決まり。
買うしかない。
もう一度、
今度は、
「校異篇」を食みながら、
賢治さんの創作の「現在」を訪ねてみようと思います。
・樹を離れいま目の前を枯葉かな 野衾