世界への信頼

 

学習院大学の中条省平先生、東京学芸大学の末松裕基先生をお招きし、
拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画
について鼎談を行いました。
足柄山の仏師に依頼し作ってもらった弊社の木のテーブルは、
かなりデカいものですが、
末松先生、
これまで上梓した拙著をはじめ、
『文の風景~』で紹介した本、中条先生の本、中条先生の本のなかで紹介されていた本など、
そうとうな数の本をお持ちくださり、
テーブルの上に並べたところ、なんとも壮観!
この暑い中、
よくぞこの大量の本(重量何キロあったんだろう!)を、
と驚くやら、嬉しいやらで、
一気に気分が高揚し、
おかげさまで、
土曜日のあの時間と場は、まさにカーニバル、
夏祭と化しました。
拙著についての鼎談なので、
なるべくしゃべらないようにしようと思い、
そう宣言もしたのですが、
祭なのに黙っているわけにもいかず、
こころがうずき、火照り、
やっぱり、かなりの量、しゃべってしまいました。
二時間半の祭の最後にちかく、
中条先生がドゥルーズの『シネマ』の中の文言「世界への信頼」
ということばを引き、
お話しくださいました。
その話を伺いながら、
毎日ブログを書き、駄句をアップしているのは、
「世界への信頼」を失くしたくないという、細やかであっても、
切実なこころの現れ、また足掻き、
かも知れないと思いました。
土地褒め、国誉め、あいさつ句、の用語は、
「世界への信頼」があって初めて成り立つ世界であるとも感じます。
また、
詩経を初めとする中国の詩において、
「興」とよばれる発想法は呪儀に起原する修辞だそうで、
地霊を興《おこ》すことばとしてあり、
わが国の序詞や枕詞とその起原的性格において通ずる、
ということが白川静さんの本に書いてある。
ちなみに「興」の字は、
酒器である同を、上下よりもつ形。
酒をふりそそいで地霊をよび興《おこ》すことが「興」。
世界への信頼が無い処では、
興も、詩も、俳句も、歌も、無い。
日記を書くことと合わせ、俳句を作ることは、
世界への信頼を確認し、回復し、感謝して生きるための工夫かも知れません。

 

・新涼や恋は脳内麻痺ならん  野衾