武烈天皇について

 

八年の春三月《やよひ》に、女《をみな》をして躶形《ひたはだ》にして、
平板《ひらいた》の上《うへ》に坐《す》ゑて、
馬を牽《ひ》きて前に就《いた》して遊牝《つるび》せしむ。
女の不浄《ほとどころ》を観《み》るときに、沾湿《うる》へる者は殺す。
湿《うる》はざる者をば没《から》めて官婢《つかさやつこ》とす。
此《これ》を以て楽《たのしび》とす。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋[校注]『日本書紀(三)』
岩波文庫、1994年、p.158)

 

は!? なにこれ。
目を疑いましたので、二度三度。眠たかった頭脳が一気にメザミーン!!
ちなみに、
躶形《ひたはだ》とは、はだかのこと。
遊牝《つるび》とは、交尾のこと。
不浄《ほとどころ》とは、女性の陰部のこと。
なんでこんなことを書いたのだろう。
実際にあったことだとしたら、おぞましきこと限りなし、
だし、
フィクションだとしたら、
よくもこんなことを想像で書いたかと呆れる。
仁徳天皇などの威光を際立たせるためだとしても、疑問は拭えない。
外国向けに、
国家として威厳を示すための正史を編む必要から、
文選、漢書、芸文類聚などに学び、
ひたすら研究したことは、
いまでいうコピペ的記述の多さからもそれと知ることができるから、
ひょっとしたら、
中国の文献のどこかに、
これと似たことが出てくるのだろうか。
寡聞にしてわたしは知りません。
岩波文庫の注と補注に、
それに関しての説明はありません。
とにもかくにも、
日本書紀の編纂者がこれを書こうと考え、
実際にも書いて残し、
それを当時の天皇をはじめ幾人もが読んだであろう
ことを想像すると、
ますます分からなくなってくる。
武烈天皇の存在自体を怪しむ学者がいるとなると、
なおさら???
だ。

 

・子を叱る母公園の蟬しぐれ  野衾