稲作と日本書紀

 

天照大神が皇祖神であるとともに神を祭る巫女としての性格をも帯びているのは、
天皇が政治的君主であると同時に最高の巫祝でもあった
(明治憲法時代でもそうであった)現実を反映するものにほかならない。
……………
古代日本では、一般に巫祝たることが同時に政治的君主たりうる条件であり、
かつ巫女的女王の実在した形迹が顕著であるから、
神代説話中の天照大神に上記のごとき性格の見出される理由も、
よく理解せられる。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋[校注]『日本書紀(一)』
岩波文庫、1994年、p.335)

 

引用した箇所は、天照大神に関する補注の説明である。
五冊あるうちの一巻目であり、まだ読みはじめたばかりだが、
本文とも合わせ、たとえば新嘗祭、大嘗祭、
また、昭和天皇が始め、いまの天皇陛下も行なった田植えの姿が目に浮かぶ。
さらに、
二〇一八年夏の甲子園で何度か耳にした金足農業高校の校歌にある
「農はこれたぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛」
が重なる。
日本書紀の記述の紙背から、
営々と稲作に勤しんできた人びとの祈りが生活の光となって差している、
そういう想像がもたげてくる。

 

・新涼を求め旦暮を暮らしをり  野衾