岩波文庫の『日本書紀』は、右ページが訓み下し文、左ページが注、
巻末に補注、さらに返り点が施された漢文、
という構成になっています。
返り点が施されているとはいっても、
漢文をすらすら読める人はそうはいないでしょうから、
今の時代にあった作りかと思います。
ちなみに、
訓み下し文は、いわゆる古文でありまして、口語訳は付いていません。
さてこの休み中、
帰省が叶いませんでしたから、
注と補注に助けられながら、
『日本書紀』に没頭しておりました。
とは言い条、
注と補注の文字はいかにも小さく、
読み進めるのになかなかの困難を伴います。
昼食を食べたあとは、かならずと言っていいほど眠くなる。
きのうもそうでした。
例にたがわず、
ページの同じところを幾度も目が這います。
しているうちに、
ゆめとうつつの境があいまいとなり、
『日本書紀』を離れ、
目の前にか、目の裏にか、定かではありませんが、
ある映像が浮かび上がりました。
覚めてから振り返れば、二十代の頃に住んでいた上星川のアパートのようでした。
高校の教員として働きながら、新宿にある劇団にも所属しており、
いそがしい毎日を重ね、
休日ともなると、
一週間の疲れがどっと出て本を読みながら居眠りすることが多かった。
おっと、また寝てしまっていたな。
ん!? あれ? あなた、なんでそこにいるの? どうしたの?
あ、そう。ふ~ん。
そうなんだ。
ま、いいか。とにかく、そろそろ起きるとするか。
おや? あのひといなくなったぞ。
どこいった?
あらら、体が動かない。
うっ。まただ。
くっそ。よっ。ほっ。くっそ。うっ。は~。
寝ている夢を見ていたようです。
あ~疲れた。
二〇二一年八月十五日、ここは保土ヶ谷、
良しと。まちがいない。
それにしても、どうして上星川のアパートだったんだろう。
いままで一度も夢に出てきたことないのに。
あのひと、だれなんだろう。
夢の中では知っているような気がしたけれど。
『日本書紀』と、なにか関係があるんだろうか。あるような。無いような。
さて。
秋七月《あきふみづき》に、丹波国《たにはのくに》の余社郡《よざのこほり》の
管川《つつかは》の人《ひと》瑞江《みづのえの》浦嶋子《うらしまのこ》、
舟に乗りて釣す。遂に大亀を得たり。
便《たちまち》に女《をとめ》に化為《な》る。
是《ここ》に、浦嶋子、感《たけ》りて婦《め》にす。
相《あひ》逐《したが》ひて海に入る。
蓬萊山《とこよのくに》に到りて、仙衆《ひじり》を歴《めぐ》り覩《み》る。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋[校注]『日本書紀(三)』
岩波文庫、1994年、p.84)
・兄と吾と大草原を天の川 野衾